広告

富士見市の旧家、横田家 江戸期代々名主、10代源九郎は鶴瀬駅開設に尽力、屋敷跡を市民緑地に

東上線鶴瀬駅から東に1キロほど、下鶴馬氷川神社の隣にうっそうとした森が広がる。ここは、地域の旧家、素封家である横田家の屋敷と屋敷林の跡で、現在は富士見市が所有し、横田家屋敷と都市公園の御庵緑地公園一帯を「大御庵(おおごあん)の杜緑地保全・活用事業」として整備を進めようとしている。横田家はどのような家だったのだろうか。

大御庵の杜

祖先は元々甲斐武田信玄の家臣

『横田正志家文書目録 近世編』によると、横田家の祖先は、元々甲斐武田信玄の家臣であり、武田家が滅んだ後、戦国時代末期から江戸時代にかけて現在の富士見市に移り住んだといわれている。以降、農業のかたわら、地域で家格のある家として村の行政に関わる。横田家から富士見市立難波田城資料館に寄贈された横田家文書によると、3代七左衛門の時には下鶴馬村の名主となっていたことが確認でき、その後、9代九左衛門まで代々名主を務めた。

10代横田源九郎は、鶴瀬村長を務め、大正3年の東上鉄道鶴瀬駅開設に際し中心的役割

10代横田源九郎(昭和13年没)は、鶴瀬村長を務め、大正3年(1914)5月1日の東上鉄道(現東武東上線)鶴瀬駅開設に際し中心的役割を果たした。今鶴瀬駅東口駅前に建つ「鶴瀬駅之碑」には横田源九郎ら駅設置有志者の功績を讃える碑文がつづられている。難波田城資料館では、約7000点に及ぶ横田家文書を整理し、地域の行政、生活の様子、横田家の歴史などを解明する作業を進めている。

鶴瀬駅之碑

屋敷部分は横田家が市に寄付、林部分は市が買い取った

 横田家屋敷と周辺の林は、代々受け継がれ、近年は林部分は横田家から市が借り受け市民緑地として保全してきた。令和4年、屋敷部分(約3000㎡)は横田家が市に寄付、林部分(約6200㎡)は市が買い取った。横田家12代にあたる現当主の横田正志さん(87)は令和6年、公益のため土地を寄付したということで内閣府より紺綬褒章を受章した。

富士見市は「大御庵(おおごあん)の杜」として整備

 横田家母屋は源九郎の時代の建築で、調査した民俗建築研究所の鈴木清所長によると、明治39年の竣工で代々名主の家だが武家風の簡素な造りに特徴があるという。

長屋門
母屋
屋敷林

一帯の森は字名から「大御庵(おおごあん)の杜」と名づけられている。オオタカが巣を作り、以前は埼玉県の「ふるさとの森」に指定されていた(今は解除)。現状は、シラカシ、クスノキなどが生い茂っている。横田家の敷地跡も現在は立ち入ることはできない。富士見市では現在、古民家の活用や、御庵緑地公園の整備を検討している。         (取材2024年9月)

タイトルとURLをコピーしました