鬼は、民話やおとぎ話の中では、常に悪役である。桃太郎や源頼光などのヒーローたちに退治される、格好の悪い存在である。ところが、そんな鬼を神として祭っているのが鬼鎮神社である。
一途な鬼の哀しい恋
昔、鬼鎮神社がある川島(嵐山町)に刀鍛冶が住んでいた。
ある日のこと、一人の若者が、弟子入りし立派な刀鍛冶になった。
一人前になった若者は、その家の娘との結婚を望んだ。主人は「一晩で刀を百本つくったら娘との結婚を許す」と若者に伝える。
若者は、懸命に刀を作った。
夜が明けて仕事場に向かった主人が見たのは、99本の刀と、鬼となって倒れている男の姿だった。そばに寄ってみると男はすでに死んでいた。
哀れに思った主人は、庭の隅に埋葬し、お宮を造って、鬼鎮様として祭ったのである。
それからしばらくして、畠山重忠が菅谷館を築造するにあたり、この社を鬼門除けの神社として奉斎、守護神として尊崇した。
鬼が鎮まる所
鬼鎮神社は、武蔵嵐山駅東口から、徒歩で10分位のところにある。
鳥居をくぐって石畳を進むと正面に拝殿がある。拝殿の左右の柱には、何本もの鉄棒が、立てかけてあり、頭上の梁には、金棒を持った赤鬼と青鬼の額がかかっている。
額の中の鬼たちは、ややメタボぎみの体型で、お酒を飲みすぎた近所のおじさんみたいで、世間一般の鬼のイメージとは随分違っている。
鬼神というのは、人間と神の中間に位置するものだとか、だからここの鬼の風貌が、妙に人間くさいのかもしれない。
古くは坂東武者、明治以降は出征兵士や家族の参詣でたいそう賑ったそうである。
最近では、受験やスポーツ、選挙などの必勝祈願が多くなっている。
福は内、鬼は内、悪魔外
鬼鎮神社の豆まきは他と少し違う。
普通は「鬼は外」と1、2回いってから、「福は内」と続ける。
つまり、先に鬼を追い出してから、「福」に来てもらうということのようである。
ところが、鬼鎮神社ではこうなる。
「福は内、鬼は内、悪魔外」となるのである。
鬼鎮神社においての 節分祭は、一番大きなお祭で、日本ではここだけの鬼の祭だ。
毎年行われる節分は、鬼たちにとっては受難の日だ。豆打ちで追いまわされ、身の置き所がなくなる。
だから、節分の日には追われた鬼たちが、全国から、鬼鎮神社に集まってくるのだとか。
鬼鎮神社の節分祭は、2月3日の午後3時頃から始まる。
およそ30人ほどの赤鬼・青鬼・年男達が、拝殿横に設置された、特設台の上から「福は内、鬼は内、悪魔外」の掛け声とともに、参拝者に豆をぶつけるのである。
これは神である鬼が、参拝者の心についた悪魔を豆で追い払い、禊をさせるという意味を持っているとのことである。
また、豆の他に団子や饅頭、みかんなども一緒にまくので、境内は多くの参拝者で賑う。
鬼に金棒
拝殿の付近に置いてあった、鉄棒と絵馬について、宮司の河野通久さんに聞いてみた。
―拝殿の付近に鉄棒があるのは何故ですか。
河野 祈願成就の際に、お礼として参拝者が奉納したものなんですよ。これがかなり沢山ありましてね。戦時中はこれを国に供出したこともありましたね。
―現在も鉄棒の奉納はあるんですか。
河野 はい、ありますね。ついこの間も片付けましたよ。何しろ鉄棒は重いし錆びますのでね。昔から「鬼に金棒」っていうでしょ。
―祈願成就の絵馬を見たんですけど、遠方からの参拝者が多いんですね。
河野 ここの参拝者の9割5分が、遠方からの崇敬者です。境内にある神楽殿は新宿の方の寄贈ですし、狛犬があったでしょ。あれも都内に住む社長さんが寄贈してくれたものなんですよ。
―絵馬の中に現役のプロ野球選手のものがありましたけど。
河野 ここは、強い力を授ける必勝の神といわれていますから。
◇
幼い頃の豆まきの情景を思い出した。今はなき父の「鬼は外」の声がよみがえる。鬼とは不思議な存在である。でも鬼を生み出した人間のほうが、もっと不思議なのかもしれない。(岩瀬)
(所在地 埼玉県比企郡嵐山町川島1898) (「東上沿線物語」第10号=2008年2月掲載。一部変化している箇所があります。写真は2024年2月3日撮影)