「ソムリエ」とはどんなことを指すか、ワイン好きに限らず、ご存じの人は多いだろう。レストランなどで顧客の要望に応え、どんなワインを選んだらいいかの手助けをする、ワイン専門の給仕人ことを言う。アルコール飲料全般を指すこともあるが、それは少数派。フランスやイタリアではソムリエになるには国家資格を取得する必要がある。わが国でも国家資格ではないが、日本ソムリエ協会や全日本ソムリエ連盟が認定する「ソムリエ」とか「ワインエキスパート」などいくつもの民間資格がある。
では、「ソバリヱ」というのはお分かりでしょうか。ソムリエをもじった日本の造語。ソバ(蕎麦)ソバが好きで、自宅だけでなく、有名、無名を問わず、あちこちのソバ店へ出掛ける、うまい店と聞けば遠距離をいとわず足を運ぶといった人をいう。そうしたソバ好きの人が集まって組織しているのが各地のソバリヱ協会。ソバで知られる都道府県は全国にいくつかあるが、出雲、備中、江戸など江戸時代からの地名を冠したソバリヱ協会がよく知られている。各協会は、ソバを自分で打つたり、ソバツユを作るための講習会、日帰りや宿泊してのソバ店巡り、ソバの歴史などの勉強会など活動は多彩。同好会のような親睦団体であり、ソバなどの日本文化に関心のある人はだれでも参加できる。
長々と本筋でない話を書いてしまったが、この稿はソバの食べ方、流儀と言ったことを考えてみたいということにある。断っておくが、筆者はうんちくを傾けるほどの知識を持ち合わせていないし、研究もしていない。経験をベースとした、単なるソバ好きの気ままな話と受け止めてほしい。
ソバ好きはごまんといるが、ソバの食べ方にルールとか流儀なんてあるのか。聞いたことさえなどないというのが大半だろう。江戸ソバリヱ協会の会員のA氏に聞いたところによると、ソバを食べるにあたっては「いただきます」と、食べ終わったら「ごちそうさま」と必ず口にするのがエチケットなのだそうだ。そう口にする人は小学生や幼稚園児間では多数派かもしれないが、大人の間では、特に若い世代では少数派ではないかと思われる。そう言えば、週1回放映の「孤独のグルメ」というテレビ番組では、毎回登場する主人公が食前に「いただきます」と手を合わせ、食後に「ごちそうさま」と一礼している。ソバリヱ流の食べ方を意識しているのかな。
薬味をソバ猪口に入れてからの手順は①薬味を口に少々、口に入れてからソバつゆに入れる②ソバをつまんでつゆに漬け、味などを確かめる③猪口を手に持ち、ソバに3分の1だけ漬ける④そばを空気によく触れて、ソバの風味を楽しむ⑤食べ終えたら、ソバ湯を飲む。ソバ湯とソバつゆの混ぜ具合は、自分の好みに合わせるよう少しずつつぎ足す⑥食べ終えたら、箸をきちんとそろえて置く。以上は、食べる当あたって気を付ける最低限のこと。以上の他に、食べる前に割り箸を料理の真上で割ってはならない、ソバは全部食べるようにするのが「通」のやり方とされる。こんなことを気にしながら食べていたら、ゆっくりそばを味わえない、食べた気がしないという人もいそうな内容ではある。
このコラムを読んでお分かりのように、私もソバが好きだ。我が家では女房殿が長い間、ソバリヱの会員だった影響を受け、ソバについての多少の知識を蓄えるようになった。コロナ禍の前までは、人から美味しいと言われると、女房のお供で地元の千葉県をはじめ、東京、埼玉、茨城、長野などの都府県へソバをよく食べにいったものである。ソバ行脚を続けていたある時、筑波山方面から茨城県笠間市に通じる途中の、吾国山の麓近くのソバ店で昼食をとったことがある。[S]という名のソバ店は、茨城県内では少しは名の知れた店だった。昼食時間帯を少し外れた時刻だったせいもあって、亭主は「うまいソバとはどんなソバか」という私たちの質問にも丁寧に話してくれた。
出されたソバは、私が初めて味わったというほどおいしかった。天ぷらがまた絶品。「うまいソバとはこういうものか」と思い知った。ソバと天ぷらの盛り合わせのコンビがうまさを加速させるのだろう。食べ物のうまさを表現するのは、とても難しい。どううまいのか、を字にして表現できないのが残念だ。美辞麗句を並べるのでは、本物でない。亭主は、自分が実際に食べてみて、自分で判断するのが王道と言っていた。テレビの料理や食の番組をみていると「うまい、うまい」を連発することしかできないタレントが圧倒的に多いが、そうした人は美味しさに挑戦していない、してこなかったのではないか。筆者はこの料理の味をどう表現するのか、という点に注意して聞くようにしている。
[S ]の亭主にはもう1点、「ソバの食べ方には、しきたりのようなことがあるのか」と聞いてみた。「ない」と言えばない、「ある」と言えばある、というのが答えだった。その店では、ワサビはソバ猪口に入れて溶くのではなく、ザルの上に盛ったそばに点々と少しずつ付けて食べること、薬味は猪口に入れず、そば湯に入れて飲むよう教えているという。江戸ソバリエ流とは一味違う。長年の経験から、こうする方がいいと思ったと言うのが亭主の弁。以来、筆者のソバの食べ方をS流にしている。
ソバの歴史は古く、縄文時代までさかのぼることができると言われる。その間、食べ方にもいろいろな工夫がなされてきたのだろうが、つまるところどうしたら美味しく食べられるということに尽きる。見苦しい食べ方をしないのであれば、やたらとうんちくを傾けないのであれば、後は自由にというのがベターではないか。
ソバのうまさで定評のある名店は、全国に数えきれないほどある。埼玉県内にもさいたま市内にも十割ソバ、石引ソバをはじめ、特色のある、愛される、予約制の、など枚挙にいとまないほど名店がある。読者の皆様も一度、ソバ店の行脚に出かけられたらいかが。筆者の経験では「こういうのがうまいソバ」と話してくれる店主は極少数。ソバ行脚で、本に紹介されていない、自分なりの名店を発見楽しみができるかもしれない。
花見大介 :元大手経済紙記者、経済関係の団体勤務もある。近年は昭和史の勉強のかたわら、囲碁、絵画に親しむ。千葉県流山市在住