東京都渋谷区松濤の高級住宅地の一角に建つ戸栗美術館。戸栗亨(とぐり・とおる)氏(1926~2007)が創設した古伊万里・鍋島(江戸時代に現在の佐賀県で焼かれた磁器)を中心とした陶磁器専門の美術館だ。戸栗氏はどのような人だったのか、コレクションの中身は。同美術館業務課長・学芸員の小西麻美さんにお話をうかがった。
最初は古民具館を造ろうとした
―創設者の戸栗亨氏はどういう方だったのですか。
小西 私は直接会ったことはありませんが、山梨県の南部町というところの出身です。家業は土木建築業で、戦後材木業を始めました。昭和27年に上京しています。最初は建築業として働き、不動産業に移ったとのことです。
―山梨にいた若い頃から骨董の収集をしていたのですか。
小西 古いものなら何でも集めたと聞いております。民具や古道具です。戦後、日本が復興するのにつれ、どんどん昔の道具が電化され、機械に移り変わっていく様子を目の当たりにし、日本の古い生活様式や文化が失われてしまうことを危惧して、最初は古民具館を造ろうと考えたそうです。今、美術館内のお庭には「田の神様」という九州の豊饒の神様の石像がおいてあったり、石臼が埋めてあったり、古民具館を作ろうとしていた頃のおもかげが残っています。
鑑賞陶器に目を向ける
―それが、収集の対象が陶磁器に向かうわけですね。
小西 昭和40年頃に、古美術に造詣の深い骨董屋さん(後藤恒雄氏や下條啓一氏)との出会いとかがあり、徐々に陶磁器を集めるようになっていきます。戸栗が目を向けたのは主に鑑賞陶器と言われるものです。
―鑑賞陶器とは。
小西 明治時代頃には美術的に価値のあるとされたのは茶道具など、誰が持っていて、どういう箱書きかというものでした。それとは別に、今当館にある古伊万里のような、江戸時代には使う器として流通していたものも、絵画を観るように鑑賞しましょうという動きが大正、昭和あたりに起こるんです。これが鑑賞陶器です。戸栗は古伊万里のように無名の陶工たちが作って人々が生活の中で使っていたものに心を寄せて、「古伊万里で日本一になる」と収集活動に邁進して、当館の収蔵品の母体になりました。
―いわゆる民芸運動とは別ですか。
小西 時代は多少重なりますし、影響がなかったとは言えません。しかし、戸栗は民芸の用の美の器よりも、美術館として展示することを前提に、きれいなものを集めていたようです。無名の陶工が作ったもの、生活で使っていたものという点で根底はつながっていますが。
こだわりが強く、状態のよいきれいなものしか集めない
―コレクションは戸栗氏が自分で集めたものですか。
小西 基本的には戸栗が自分の目で認めたものしか当館にはありません。戸栗はこだわりが強かったと聞いていまして、確かに収蔵品はきれいなものが多いです。具体的には、状態がよいものだけを集めるということを信条にしていました。
日本初の磁器である伊万里焼に集中
―収蔵品は古伊万里と鍋島焼が主ですか。
小西 その二つがメインです。古伊万里で日本一のコレクターになると目指しました。その中で伊万里焼と鍋島焼は兄弟みたいな関係です。伊万里焼が最初に初の国産磁器として誕生し、その後17世紀後半くらいから袂を分かつように鍋島焼という将軍献上を目的とした贈答用のやきものが創出されました。
―戸栗氏は古伊万里の何にそんなに惹かれたのでしょうか。
小西 いろいろな魅力がありますが、私が印象に残っているのは「はじまりというものは大事なものだ。私はそういうところに愛着を感ずるんです」(にっけいあーと1991年6月)ということばです。伊万里焼は日本初の国産磁器です。磁器はそれまでは中国や朝鮮半島などでしか焼くことができませんでしたが、秀吉の朝鮮出兵の時に連れ帰えられた陶工によりやっと17世紀に焼けるようになりました。その点も集めるきっかけになったのではないかと思います。
―古伊万里のなかでも何かに集中していますか。
小西 伊万里焼の歴史を通観できるコレクションを目指していたので、色絵の大壺から染付のお皿まで何でも集めています。とにかく美術館を建てることを念頭に収集していたそうです。
7000点の収蔵品、年4回の企画展
―収蔵品はどれくらい。
小西 7000点ほどです。
―展覧会は。
小西 年4回企画展をしていますが、原則収蔵品だけで企画展を作っています。
佐賀鍋島家の所有地跡に1987年オープン
―この美術館ができたのはいつですか。
小西 昭和62年(1987)のオープンです。今年で37年になります。
―美術館の敷地は佐賀鍋島家の所有地だったところですか。
小西 松濤は元々江戸時代は紀州徳川家の下屋敷だったところで、明治になり鍋島家の所有となり、一帯が茶畑だったそうです。
―建物が豪華です。
小西 やきもの専門の美術館と最初から決めていましたので、展示に特化した建物のつくりになっています。まず建物自体が堅牢です。東日本大震災の時もほとんど被害がありませんでした。展示室も壁面にケースが入っているタイプで、とにかくやきものを守るため、見せるために研究され尽くしています。
「花鳥風月―古伊万里の文様―」展
―現在開かれている企画展はどのような内容ですか。
小西 「花鳥風月―古伊万里の文様―」というテーマです(3月21日まで開催)。古伊万里の文様に注目し、今回は自然の風景の中でも花と鳥の組み合わせの花鳥文、風景の文様として山水文の特集になっています。
―展示で心がけていることは。
小西 私が展示を企画する時に心に決めていることは、作品と人をつなぐ、橋を作るという気持ちです。とにかく入口をわかりやすく。パネルやキャプションはわかりやすいことばを使うように心がけています。やきものが敬遠される理由の一つとして用語が難しい。お碗でも口縁、高台、畳付など普段使わないような用語が多い。色絵や染付など、わかる人はわかる言葉も、一番最初にやきものを目にする人のことを考えて説明するようにしています。 (取材2024年1月)