小川町は、かつては秩父往還と呼ばれた街道の宿場町で、市が立ち商業が栄えた。自然景観、文化、伝統産業にも恵まれ、武蔵の小京都と呼ばれ、埼玉県の歴史のみち景観モデル地区(令和4年度末事業終了)に指定されていた。秋晴れの2023年10月19日、歴史的建造物など町内の見どころを回る「和紙のふるさと・商都小川町景観まち歩き」に参加させていただいた。(以下の記事は、まち歩きをご案内いただいた小川町都市政策課、NPO法人小川町創り文化プロジェクト(まちぶん)の皆さんのご説明、「小川町まち歩きガイドブック」などにより作成しました)
小川町駅
小川町駅は大正12年(1923)東上線の開通に伴い開設され、昭和9年には八高線が乗り入れました。今年11月には開業100周年を迎えます。
二葉
二葉は江戸時代に秩父往還(街道)沿いに割烹旅館として開業、昭和8年に駅前通りに移転しました。本館は大規模な数寄屋建築で、敷地内の茶室「六六亭」とともに国の登録有形文化財に登録されています。「忠七めし」は日本五大名飯の一つとされ、山岡鉄舟が名付け親。鉄舟は剣・禅・書の達人で、生家が近くの竹沢郷を知行地としており、書家に必要な和紙を求めて小川に立ち寄り二葉を定宿にしたそうです。
福助
福助は秩父往還沿いに安政2年(1855)に創業した割烹。2代目の時知人が身請けした遊女を預かり、遊女は死の間際に生家に伝わる鰻の蒲焼きのタレを伝授。それにちなみ、「女郎うなぎ」として現在に至っています。
秩父往還
秩父往還(街道)は熊谷から秩父に至る街道で、小川の中心部を貫いています。現在は国道254号線となっており、道沿いには歴史的な建物が多く残っています。街道沿いの家は間口が狭く、奥が長いのが特徴。往還に沿って、北裏通り、南裏通りが並行しています。
元萬屋旅館
萬屋は幕末創業の旅館で秩父往還沿いに建っています。昔は富山の薬売りの定宿となっていたそうです。奥行きの長い土地で往還沿いに客室があり、中庭をはさんで、南裏通り側にも旦那衆専用の部屋と玄関があります。今は営業はしていません。
しまむら創業の地
衣料品チェーンのしまむらは小川町が発祥で、昭和6年島村呉服店として創業した場所です。
元比企銀行
明治10年代に小川町に比企銀行と小川銀行の2つの銀行が開業しました。旧比企銀行の建物が秩父往還北裏通り沿いに残されています。建物は古く傷んでおり、今大学生による再生の計画があります。
晴雲酒造
小川はかつて「関東の灘」と言われ、多くの酒蔵がありました。現在は松岡醸造(帝松)、晴雲酒造、武蔵鶴酒造(休業中)の3軒が残っています。晴雲酒造は、大手飲食店チェーンのゼンショーのグループ入りをしましたが、以前と同様に営業しています。
槻川と栃本堰
槻川(つきがわ)は都幾川の支流で、小川町の秩父往還の南側を流れています。古くから栃本堰で取水して小川用水が引かれ、農業用水、生活用水として利用されています。川沿いは栃本親水公園として整備され、水車小屋もあります。川には鯉が泳ぎ、カワセミの巣もあり、京都の鴨川の雰囲気に似ていると言われています。
五軒長屋
五軒長屋(田中屋長屋)は秩父往還の南裏通り沿いに位置し、幕末に建てられたと伝わります。元は六軒でしたが、今は五軒長屋です。往還は槻川の流れに沿ってカーブしており、建物も屈曲しています。昔は芸妓屋、小間物商、鍼医、餅菓子屋、人力車夫など様々な職業の人が入居していたと記録にあります。国の登録有形文化財に登録されています。現在は吉燈庵(はり・きゅう)という店だけが営業しています。
三峰神社
小川町には、あちこちに三峰神社の小さな社があります。家屋密集地で過去に大火に見舞われたことから、火除けに霊験があるとされる秩父三峰神社の祭神を勧請して祀っています。
玉成舎
玉成舎(ぎょくせいしゃ)は明治18年に養蚕技術の伝習所として創設され、舎屋は集会所としても利用されました。昭和6年に稲荷町の現在地に移築され、昭和36年に大谷石の蔵が増築されました。国の登録有形文化財に登録されています。現在はリノベーションされ、レストラン(わらしべ)やカフェバーとして利用されています。
呑龍様
呑龍(どんりゅう)様は、稲荷町の人たちが、群馬県太田市の大光院新田寺から勧請しました。大光院は徳川家康の命により徳川一族の繁栄と天下太平のため創建され、呑龍上人が招聘されました。小川の呑龍堂の屋根瓦にも葵紋がついています。
和紙体験学習センター
小川町和紙体験学習センターの建物は、元々県立製紙研究所として昭和11年に建設されました。平成11年から小川町に引き継がれ、細川紙の製造技術継承や手漉き職人の後継者育成の中心施設となっています。
ヤオコー発祥の地
食品スーパーのヤオコーの発祥は小川です。明治23年、秩父往還(街道)と八王子街道交差点の一角(現本町2丁目)に「八百幸商店」開業。昭和30年代には川野トモ氏(川野幸夫現会長の母)がセルフサービス方式を導入、47年には駅前に小川ショッピングセンターを開き、後の躍進の足がかりとなりました。
コワーキングロビーNESTo
町内最大の大谷石の蔵で、元々は、秩父から運ばれたタバコの葉を保管する施設でした。その後、絹問屋の三協織物が生地を保管する蔵として使っていましたが、内部をリノベーションし令和3年に「コワーキングロビーNESTo」として生まれ変わりました。各種イベント開催の他、食事も楽しめます。