安岡正篤(まさひろ、1898-1983)と言えば、東洋思想家、易学者で、多くの政財界人を指導、歴代総理の指南番とも言われた。「平成」元号の草案を作り、終戦時の天皇陛下の詔勅を校閲したことでも知られる。昭和初期に嵐山町の広大な敷地に日本農士学校を設立し、その跡地に現在は郷学研修所・安岡正篤記念館が建っている。私は以前、郷学研修所の研修会に参加したことがあり、その最後に真向法の体験が組み入れられていた。安岡が真向法を励行していたことによる。私にとって、それが真向法との出会いであった。その後、私は真向法を始め今日に至るが、真向法協会の会報「健体康心」に、昭和21年に安岡が書いた真向法の推薦文が掲載されている。さすがの名文で、転載させていただく。
新興宗教でもない、社会運動でもない、いわゆる社会生活運動でもない。ここに一つ、新しい熱烈な人間救済の健康運動とその導師がある。真向法と長井津翁である。今日の世の中はあまりに人間が硬ばっている、不和である。しちむずかしい。もう少しお互いに柔らかく、なごやかに、やさしくなることさえできれば、日ソ交渉も労資闘争も、家庭争議も、太陽族も、グレン隊も皆、かたづいてしまうのだが。そもそもこの身体からして、何と硬化や違和の甚だしいものであろう。そして医者よ、薬を、養生よ、運動よ、と何と生きることの七面倒なことであろう。長井さんは福井在の勝鬘寺出身(兄さんは有名な仏教学者長井真琴氏)。若くして財界に入り、42にして脳溢血を起こし、あらゆる難しい闘病治療の悩みの中から、この柔と和と易と理に徹し、まず人間を童体・童心・童顔にする極めて簡易な体操を行うことに習熟し、いつの間にか全く三童の人となり得て、世に偉大な効験を実現している。まあ、やって御覧なさい。 (公益社団法人真向法協会「健体康心」第635号=令和5年5月1日より)