朝霞市の「丸沼芸術の森」に滞在する韓国人陶芸家、河明求(ハ・ミョング)氏。伝統を踏まえつつ斬新で独創的な造形で、今最も注目される若手作家の一人だ。日韓の文化交流にも尽力し、交流の原点とも言える埴輪の研究も進めている。朝霞市のマスコットキャラクター「ぽぽたん」の生みの親でもある河さんにうかがった。
京都市立芸術大学の大学院で陶磁器を専攻
―韓国の出身ですか。
河 1983年にソウルで生まれました。
―韓国と日本の大学で陶芸を専攻したのですね。
河 韓国の慶煕大学校で陶芸を学び、それから日本の現代陶芸が気になって京都市立芸術大学の大学院で陶磁器を専攻しました。
―日本の陶芸が気になったとはどういうことですか。
河 中国と韓国はやきものの歴史は長いですが、近代、現代にいろいろ混乱して、伝統が現代の表現につながっていないことがわかりました。日本は世界大戦などあっても、アジアの中では唯一伝統から現代まで断絶せずにつなげてきている。だったら日本に行って伝統から現在までの流れを研究してみたいと思いました。
―イギリスの大学にも行かれた。
河 京都市立芸術大学がイギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートという学校と連携していて、選ばれて大学院の2年次にロンドンで勉強しました。
2013年に朝霞の丸沼芸術の森に
―朝霞の丸沼芸術の森に来たのはいつですか。
河 2013年です。
-どのようなきっかけがあったのですか。
河 イギリス留学時に出会った日本人の作家さんの紹介で丸沼芸術の森の須﨑勝茂社長に会いに来ました。イギリスに行かなかったら丸沼や朝霞市とも縁がなかっただろうなと考えると不思議です。
どうすれば一番自分らしくてオリジナリティが高いものを作れるか
―その後の陶芸家としての作品は伝統的な器類でなく動物や妖怪、ロボットなどのオブジェが主ですね。
河 韓国の大学時代までは機能性をもった伝統的器が多かったのですが、土という素材で自分らしい表現はできないかという疑問がずっとありました。その中で京都では1950年代に前衛的な表現を粘土でやっている人々がいたことがわかった。京都市立芸術大学は日本の芸大では一番歴史が長く、近代から現代までの有名な作家から学べる。この学校に行って勉強したいと思いました。
―手本、目標となった作家はいるのですか。
河 特定の人が手本というよりいろいろな作家を調べながら、では自分は何ができるか、どうすれば一番自分らしくてオリジナリティが高いものを作れるかという欲望を持っています。
一人だけ、亡くなってしまいましたが、デンマーク出身のニーナ・ホールという人がいます。1ヶ月くらい制作を手伝ったことがありますが、こういうのが作家の情熱なのだと、表現者としての姿を初めて見せてくれた。イギリスに行っている間、彼女のデンマークのスタジオに遊びに行きました。
世界各地で展覧会
―展覧会は世界各地で。
河 今まで韓国、日本、イギリス、香港、シンガポールで。
―窯は韓国にもあるのですか。
河 韓国で展示やイベントがある時、使える制作室があります。
-規模の大きな展覧会としては。
河 2019年に、ソウルにあるLOTTEデパート本店の銘品ブランドを扱っている館を全部使って個展を開きました。また、2017年から毎年、アートフェア東京に出品しつつ韓国の作家たちの出品のディレクターみたいなこともしています。
韓国の若手作家に丸沼で制作させて展示
―自身の創作だけでなく他の作家の支援もされているということですか。
河 最初は自己表現ばかり考えていましたが、作家さんたちと交流するようになり、自分が韓国出身で日本にいながら何をすべきかとか、社会的活動について考えるようになりました。
―具体的にどのようなことを。
河 丸沼芸術の森と韓国の文化庁みたいな政府機関と架け橋になって、韓国の若手作家を毎年3人選んで丸沼で3ヶ月制作させて展示、一方で年末には日本の作家さんたちと一緒に韓国の政府が主催するアートイベントに参加したり、国際交流の場を実現するよう努めています。
他には、朝霞市の市制50周年記念展に韓国の作家の作品を一緒に展示したり、東京・四谷の韓国文化院でも日韓交流展を開催したり、企画・コーディネーターとしての活動もやってきました。
朝霞市民はタンポポの妖精、「ぽぽたん」
―2017年に朝霞市のマスコットキャラクター「ぽぽたん」をデザインしました。これは陶芸作品として制作したのですか。
河 そのときはイラストを描きました。それが採用されて、3Dの立体化するのも着ぐるみができるまで全部アドバイスしました。
―「タンポポの妖精」を描いてくれという指示が市からあったのですか。
河 僕が考えたんです。朝霞市は何もないと言われていましたが、よくよく考えてみたら、東京に近いのにこんなに緑豊かで川が3本も流れ、インフラも公園もいっぱいあり病院とか大学も自衛隊もある。人口も増えている。朝霞市民をイメージしたいと思った。いろいろな仕事の人、自衛隊、大学生、東京で仕事を得て住む場所を探して来た人とか、いろいろな事情を持った人が集まってこんな緑豊かなところで平和に住んでいる。市民の皆さんは、どこかから飛んできたタンポポのタネ。フワフワして飛んできて、緑豊かな土地に着いて花が咲く。家庭を作り、そこで子どもが生まれ、子ども達はまた自分の夢に向かう。だったらタンポポの妖精が、朝霞市らしいのではと思って、イメージとして描きました。
―名前も河さんが考えた。
河 「ぽぽたん」も自分の考えた候補にあったのですが、市民に公募して決まりました。
日韓文化交流の原点としての埴輪
―先日、朝霞市制55周年記念として「ぽぽたん」の埴輪を制作して市に寄贈されました(記事)。最近埴輪の研究をされているということですが。
河 国際交流とか社会的活動をするなかでより自分のアイデンティティとか、より根源的な歴史に興味が出て、一番原点とも言える日韓交流はいつだろうと遡ると古墳時代だろうと。大和政権ができて古墳とか独特な埴輪ができた。5世紀に韓国から窯とかやきものの先進技術が日本列島に入り、それを発達させて埴輪を作る。その古墳と埴輪が交流関係のあった韓国の南部に逆輸入される。今とは違う関係性を持っている。他は中国とも関係があるのがほとんどですが、埴輪と前方後円墳は日韓しかない。それだけでも研究する価値があるのではないかと、研究をスタートしました。埴輪の時代背景とか研究しながら、それを応用して何かできるのではというのが今のテーマです。
-今埴輪の研究で大学院に通っているのですか。
河 去年から東京造形大学の博士課程に入りました。1年目の小論文をまとめたところです。
―埴輪の形の面白さは。
河 埴輪は古墳の周りを飾った土器で、水を飲むための器とかの用途と全然関係がなく彫刻やモニュメントとかとまったく同じ概念で作られている。垂直構造なので象徴性が高く造形的にも完成度が高い。今の芸術作品としても可能性があると思っています。
―今は埴輪のような素焼きの作品を作っている。
河 自分がやってきた釉薬をかけた妖怪みたいな作品もやりますが、何もつけない形だけの表現も同時に進めています。
やきものを次世代、未来に残す
ただ、埴輪の形をまねたりするのもいいが、埴輪で一番インスピレーションを受けたのは何かと言うと、1800年前のものを実際に手で触ってみると、すごい感動する。1800年前誰かが作った、それを1800年後の自分が触る。やきものだからこそ長く持つ。木や金属は腐るが、やきものは残る。だから今の社会、人間関係、時代性をどうやって残すかという発想で、自分の作品だけでなく、今の時代の人々と何かやってみたい。今年8月に滋賀県で、親子40~50人集めて、埋めることを前提に一緒に野焼きをして作ってもらう。それを、次の次世代、未来に残したい。プレゼントしたい。子どもがただ博物館で昔のものを見るだけでなく、過去、現在、未来に関する理解と解釈が面白くできるのではないかと、今計画を立てています。次には朝霞でもやりたい。丸沼にも埋めたい。
アジア全体の美術に関しての専門家に
―今後の予定は。
河 7、8月は滋賀県に滞在します。9月には滋賀県の陶芸の森で元々の自分の作品を展示します。丸沼では、毎年年末に11月末から12月の始め頃に1年の成果展を開きます。
―将来の計画は。
河 僕はこれからアジアに可能性があると思っています。最終的には日韓だけでなくアジア全体の美術に関して一番の専門家になりたい。それと、それをしていく間に、自分が考える理想的な美術界を作りたい。15年か20年後には、韓国の文化体育観光大臣、日本で言えばは文部科学大臣の仕事を一度やりたい。改革したいことがあります。これはプロセスの一部です。
制作する者としては最高の場所
―丸沼芸術の森に滞在して10年になります。
河 制作する者としては最高の場所です。僕はすごく恵まれています。ただ、自分がいい環境を使えるのが当たり前だと思わないようにずっと警戒しています。作家は緊張感と変化を求める自問が失われると作品の生命力もなくなります。
(取材2022年6月)