認知症患者を世話する家族や介護施設職員の苦労は並大抵ではない。認知症の人は、「困った人」というのが一般的受け止め方だ。これに対し、富士見市の特別養護老人ホームふじみ苑(富士見市社会福祉事業団運営)の窪田浩之施設長は、認知症の人は自身の言動に不安な心を抱く「困っている人」であり、その気持ちに寄り添った接し方が必要だと説く。
以下は2018年1月27日、富士見市民文化会館「キラリ☆ふじみ」で開かれた「第26回ふじみ福祉フォーラム21」における窪田施設長の講演「認知症について理解を深めよう」の内容を元に、窪田氏に語っていただいたものです。
ふじみ苑も入る富士見市ケアセンターふじみ
私は、医師ではありませんが、元々介護現場にいましたので、これまでの経験から、認知症について考えていることがあります。特に、認知症のご本人とご家族の気持ちと、それに対する接し方に焦点を当ててお話させていただきます。
高齢者5人に1人が認知症に
今高齢者の7人に1人が認知症で、それが2024年には5人に1人まで増えると言われています。
認知症は、昔は痴呆と言われていましたが、2004年に認知機能が低下した病気という意味で認知症という呼び名に変わりました。
認知症とは、一つの病気ではなく症状の総称です。元々正常に発達していた脳が、病気や障害によって機能が低下しておきる症状です。知的障害の方は先天的ですが、認知症は後天的に獲得した記憶であったり、能力が病気や障害により低下します。
通常は、記憶、思考、理解などの知的機能に症状が現れますが、運動機能が侵され、歩行や食事に問題が生じることもあります。認知症で徘徊のある方は、ずっとそうである方もいますが、脳が萎縮したりシワがなくなると、いずれ歩けなくなります。症状は進行するし、その速さは脳の症状や環境によって変わってきます。
アルツハイマー型が5割
代表的な認知症として、アルツハイマー型、脳血管性、レビー小体型があります。
アルツハイマー型は、アミロイド蛋白が形成されて、脳が萎縮し、記憶力、認知機能の低下が起きるものです。65歳以下は若年性アルツハイマー認知症と呼ばれています。
脳血管性は、脳梗塞や脳出血で、脳内に血液が詰まり、脳の細胞が壊死するもの。梗塞が小さくなれば、症状が治まることもあります。レビー小体型は、レビー小体という特殊な物質が脳内に出現して神経伝達物質が減少することで発症します。手足の震えとか、見えないものが見える幻視が特徴です。あかちゃんが見えるとか。症状が一定しないのも特徴。調子がよくていろいろおしゃべりができる時もあれば、鬱病のように寝込んでしまったりする時もあります。
その他の原因としては、社会との関係、家族との関係など環境が変わってしまっても、発症します。
正常圧水頭症、甲状腺機能低下とか、ビタミンB12欠乏、アルコール中毒でもなります。これらは、その原因や不足物質が改善されれば、認知症症状がなくなることもあります。しかし、アルツハイマー型や脳血管障害、レビー小体型はなかなか治りません。比率は、日本ではアルツハイマー型がほぼ50%を占めています。
中核症状は、記憶障害、見当識障害、理解判断力の低下
症状には、中核症状(記憶障害、見当識障害、理解判断力の低下など)と、周辺症状があります。中核症状はどの認知症でもだいたいあります。周辺症状(行動心理症状)に関しては、全員に出るわけではなく、環境や脳の状態によっても、出たり出なかったりです。
中核症状は、脳の細胞が壊れることで直接おこる症状です。症状の改善がみられる場合もありますが、総じて治りにくい。中核症状でよくあるのが、記憶障害。記憶は目や耳から入る情報を保存するが、記憶障害が起きると、脳の一部の細胞が壊れることで、覚えられないとかすぐ忘れてしまう。普通、物忘れは年をとればだれにでも起こります。生理的なもの忘れは良性健忘と言われ、病的なもの忘れは認知症。
良性の健忘は、家の鍵を閉めたかとか体験の一部を忘れてしまう。どこに財布を入れたか思い出せない。ただ、何かのきっかけがあると思い出せる。誰かがあそこにしまったんじゃないと言ってくれたり、他の記憶が助けてくれて、記憶が呼び覚まされる。体験の一部だけを忘れているので、きっかけがあれば、思い出すことができる。しかし、認知症の場合は、きっかけがあっても思い出せない。体験そのものがない。すぽっと消えている。思い出すのではなく、ないのです。「さっきご飯食べたでしょう」。本人にしてみると、食べたという記憶がないので、食べてないと言うしかありません。
なので、介護者と介護される人でけんかになるのはこのところです。介護される人は、別に悪くない。記憶がない。する側がそこを理解してあげないといけません。
見当識障害。年月とか時刻とか季節とか、自分がどこにいるのか、がわからなくなってしまう。症状として、時間、場所、人物もわからなくなる。たとえば、桜が咲いても夏。毎日歩いている道でも、外国にいるような感じになるそうです。だから行方不明の方が結構いる。一緒に住んでいるお孫さんの顔がわからなくなる。
不安から出る周辺症状
周辺症状は今は行動心理症状と呼ばれています。周辺症状は、陽性(徘徊、暴力、独語、妄想、幻覚、過食、不眠、介護抵抗)と陰性(無気力、無関心、無言、鬱状態)に区分できます。中核症状から、本人に不安とか、不快とか焦燥感とか怒り、被害感などが出てしまい、その結果介護拒否など周辺症状が起きます。本人にしてみれば、すごく不安なんです。
誰でも発症するわけではなく、個々によって出たり出なかったりします。周囲の対応とか環境とかにもよります。この周辺症状が、介護者にとっては大変です。
暴力など攻撃的な伝達物質が脳内で出ている場合、それを薬で抑えれば興奮がおさまる。不眠も、本人は寝たいが、ドーパミンなど起きる伝達物質が出ることで、眠れない。それを抑えてあげれば眠ることができます。
異食(食べ物でないものを食べる)も、結構ストレスであったりします。できるつもりでやっていることを、注意されたり、怒られたりするから、ストレスになって、異食につながることがあります。
本人が納得できる話を
介護拒否。だいたいなぜ自分が介護されているのか理解できていないので、拒否するのです。何をされるかわからないから。
それに対しては、本人が納得できる話をします。理解させるではなく。たとえば、お風呂に入らないのであれば、「お風呂に入りましょう」では「いやだ」と。そこで、本人がお風呂に入りたくなるような、声かけをすればよい。「明日孫のところに行くからお風呂入った方がよくない?」とか。ばりばり働いていたような人だったら、「明日は会議があるからお父さんお風呂入っておかないと」。
認知症の方の記憶力は、人によって違いますが、自分がしたりされて楽しかったことは、内容は覚えていなくても、それがどんな感じだったかは感情としてしっかり持っています。私たちが怒ったり、少しでも嫌そうな顔をすれば、ちゃんとわかっている。周囲の対応によっては、改善することもあるし、ストレスになってしまえば、もっと症状が進んでしまうこともあります。
家族は大変だが
介護をしている家族の立場について。
家族が認知症らしいとわかると、まず最初はとまどいと否定の反応が普通です。「まさか、うちのお父さんが」。
次に、認知症だと明確になってくると、混乱、怒り、拒絶。どう対応してよいかわからない。信じたくない。この第2ステップが一番きつい。今まであんなに優しかったお父さんが、人が変わってしまう。
少しずつ対応できるようになると、割り切り。怒っても、いらいらしても何も変わらないと。専門家のサービスも使うようになり、少し楽になる。ただ、気をつけなくてはいけないのは、別の新しい問題が出てくると、第2ステップに戻ってしまいます。
これを乗り越えると、第4ステップ。受容です。
アルツハイマーで介護期間平均8年と言われますが、20年以上介護されている方もいますし、受容に行く前に、本人が亡くなる場合もあるし、施設に入所する場合もあります。いずれにせよ、家族は大変です。
自分のしていることがわかっている人もいる
認知症の方は、本当はどう思っているのか、家族はどう思いで介護しているのか。事例を紹介します。
認知症の奥様と介護者のご主人。介護している人もつらいが、認知症の人も本当はつらいんです。奥さんがお茶を淹れようとして失敗した。奥さんは、ご主人の背中をカリカリとかく。ご主人が奥さんの目を見ると、悲しみでいっぱい。今までできていたことができなくなるつらさ。ご本人はなんでできないのかもわからない。
お母さんを介護する娘さん。娘さんがいつものように仕事から帰宅すると、部屋が散らかっている。かたづけていると、お母さんが包丁を片手に私の方に近づいてきた。「ああ、とうとう娘の私もわからなくなった。お母さんに殺されても仕方がない」と思った時に、娘さんの名を呼んで、「ごめんね、このままではあなたの人生がおかしくなってしまう。この包丁で私を殺して」。娘さんは、その時に思いました。私だけが苦しんでいたのではなく、本当に苦しんでいたのはお母さんだった。おかしな言動を繰り返し、娘を苦しめていることに、苦しみ、それでもどうすることもできない自分を責めていた。
この事例では、お母さんは、いつもはめちゃめちゃなことをしているが、突然我に帰る。お母さんは、私の存在を消さないとあなたが楽になれないと言いたかった。普段もどこかでこういうことを感じている。ただ言えないだけ。
認知症の方で、理解できない言動をしていても、自分のしていることをわかっている人もいるのです。介護をする人の言葉や態度もわかっている。だから嫌なことをされれば嫌だし、いいことをされればうれしい。
私の体験ですが、毎日歌をうたっているおばあちゃんをお風呂に入れた時に、靴下をはかせようと「足を上げてください」と言ったら、足をあげてくれた。私は「ありがとうございました」と言うと、「なぜあなたがお礼を言うの、お風呂に入れてくれたのはあなたでしょ、お礼を言うのは私よ」と実際に言ってくれたのです。あれっと思い、会話をしようと思いましたが、また歌に戻ってしまいました。
あのおばあちゃんは何もわかっていないとか、ということはない。わかっているけれど、ただ伝えられない。
認知症でも自分らしく生きたい
皆さんにお話ししたかったのが、誰でも自分でできることは自分でやりたいし、大切な人は忘れたくないし、大切な人を傷つけたり、迷惑をかけたくはない。でも、認知症になるとしたくてもできなくなるし、したくなくてもしてしまう。トイレでおしっこをしたいが、トイレの場所がわからず、廊下でしてしまう。自分は忘れたくないが記憶が消えてしまう。しかし、その人が大切な人だとわかっている。でも、自分でどうすることもできない。つらく苦しい思いをしている。でもできれば、言いたいことや気持ちは伝えたい。
認知症であっても、自分らしく生きたいし、うれしいことはうれしいし、いやなことはいやだし、皆さんお父さん、お母さんでいたいし、夫や妻でいたいと思っています。家族と暮らしたいし、地域の人たちと暮らしたいし、何より幸せに暮らしたいと思っています。
自分でどうすることもできない。しかし、人生は続いていく。生きていかなければならない。そういう中で、認知症の人は「困った人」でしょうか。違います。認知症の人は「困っている人」です。
本人の内的世界に寄り添う
じゃあどうすればよいのか。認知症の人との接し方として、本人の内的世界を理解するとか、優しくゆっくりと接するとか、わかりやすい言葉でなるべく短く伝えるとか、一度にたくさんのことを伝えないとか、説得より納得できるようにしてあげることが大切です。
本人の内的世界では地震が起きたと思っている。だからそこに寄り添ってあげる。「地震なんかないよ。何言っているの」ではなくて、「地震あったね。こわかったね。だけどもう大丈夫ですよ」。
やさしく言うと、怒らない、否定しない、馬鹿にすることを避けなければいけない。あとは大切なのは、話を聞いてさしあげることと、認めること、ほめてさしあげること。年をとると、ほめられることは少ない。
私たちがしてもらってうれしいことは認知症の人もうれしいし、嫌なことは嫌だということです。
ご家族への対応としては、なかなか近所に言いにくいので、周囲の人が、「がんばっているね」とか、「何かあったら声をかけてね」とか言ってあげることで、周囲も理解してくれているのだなと。自分がこの人の立場なら、どうしてもらったらうれしいか、どうしたら自分なら納得できるかと考えてもらうのが、よいと思います。
うそも方便
うそも方便ということばがあります。うそが相手を馬鹿にするうそではなく、寄り添ううそ、受け入れるうそであれば、それはうそではない。本人の内的世界ではそれが真実なのです。
「自宅に帰りたい」と言われたら、まずなぜ帰りたいのかを聞きます。夕方になると、帰りたいという言う方が多いです。徘徊と言うと、あてもなく歩くというイメージですが、認知症の方は必ず理由があります。夜中中歩いているおじいちゃんがいました。その人の前の職業は警備員でした。自分は仕事をしているつもりなのです。「〇〇さん、休憩の時間です。私が次の担当なので替わりましょう」。あとは、「子どもが心配だから帰りたい」と言われたら、「それは心配ですね」と受け止め、「車の準備ができるまでお茶を飲んで待っていてください」。お茶を飲んで別の話をしていると忘れてしまうこともあります。一周、ぐるっと散歩したり、ドライブするだけで変わる方もいます。
お風呂に入りたくないと言われたら、なぜ入りたくないのかを聞いて納得できる話をする。「風邪をひいている」というのであれば、「××先生が入った方がよいと言っていたよ」。たまに成功するのですが、「〇〇さんのためにお風呂入れたんだけと、入らないなら捨てちゃうしかないな」。すると、「もったいないから入る」。
認知症の人は、「困った人」ではなく、「困っている人」です。もしも自分が認知症だったらと考えてみてください。
窪田施設長
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