東松山市の比企丘陵、展望の地として知られる物見山の麓、崖下には巌殿観音(正法寺)の境内が続く場所に、まさに「峠の茶屋」の趣の、日の出家がある。経営する吉田栄子さんにお話をうかがうと、このあたりは戦前は、東京・浅草のような、地域で一番のにぎわいの地だったという。
(「東上沿線物語」第23号(2009年5・6月)より、写真は更新、正法寺記事はこちら)
130年続く
―このお店はいつごろから。
吉田 うちは130年、お店をやっています。今息子が跡継ぎをしており、5代目なんです。
―うどんがメインですか。
吉田 今は、うどんとおそばが主ですね。昔は居酒屋でした。うどん、おだんご、寿司も、何でもやっていたみたい。おじさんたちが食べたり飲んだり。
―お客さんは観光が多いですか。
吉田 この辺は物見山という自然公園です。春は桜と、4万本のつつじ。これは自然のつつじですから、とてもいい色なんです。植えたつつじと違いまして。
―岩殿観音は非常に由緒あるお寺なんですね。
吉田 岩殿観音様は坂東三十三箇所十番札所といって、浅草の観音様より位はいいという真言宗のお寺さんなんです。この辺では、吉見の安楽寺、巌殿山の正法寺、玉川(現ときがわ町)の慈光寺の3つの関連があるお寺さんがつながっているんです。札所めぐりでお客さんが来てくれます。
札所をめぐるバスが止まる
―最近もお寺めぐりのお客さんが多いですか。
吉田 今はお参りするお客さんが少なくなりましたね。昨年はたくさん来ましたが、今年は急に減りましたね、1月から。やはり景気のせいでしょうね。バスがここに止まらなくなりました。
―観光バスが止まるんですね。
吉田 札所をめぐるバスです。ここを回ってうちでお昼をめしあがってから、群馬の水沢観音に行くんだそうですよ。
―昔からこの峠に道があったんですか。
吉田 牛車が通るくらいの細い道ですね。関東大震災のとき、うちの母が3歳だったんです。その時この店の建て替え工事で骨組みしていたのがつぶれちゃって、また建てたと言っていました。
―店はここだけだったんでしょうか。
吉田 いやいっぱいありました。この下に、観音様の参道がありますが、旅館とかいろんな店がずっと続いて、にぎわって浅草みたいだったんです。
うちなんかも、(記録を)見ると、東京のお豆腐連盟会のお客さんとか(が来店している)。先々代、大正時代のおじいちゃんが日の出家の印半纏を着て「歓迎」という大きな旗を持って待っている写真が残っています。宮様が来る日は、白い飾りをつけた馬がいっぱいここに並ぶんです。
―このあたりではここが一番栄えていた。
吉田 そうですね。ずっと門前町でしたから。歌なんかにも、隣の坂戸の芸者が岩殿へきて商いをしたというくらいですから。
私はこどものころはこわかったですね。とにかくこの辺は発展していたところでした。女の人が男の人たちを連れ込んだり、ばくちはやるし。
大学生は上がってこない
―戦争終わってからは。
吉田 もうないですね。それでも、私が継いだときはまだにぎやかだったですよ。息子の代になったら火が消えたようになってかわいそうですよ。
―今は旅館の家は残っていない。
吉田 参道を下りたあたりに形はいくらか面影があります。
―すぐ下に大東文化大学(東松山校舎)ができてどうですか。
吉田 大学ができたころに隣で喫茶店をやっていたんです。そのころの学生さんはみんな来ました。
今は、大学の中に(店が)できちゃったんです。それに今の若い人は上ってこないのね。
―こちらの方がお昼休みに来ても楽しいのに。
吉田 そうですよ。アベックで歩いたって、恋も実るでしょうね。来たお客さんはずいぶんいいところですねと言ってくれます。なのに今の人は来ないんだね。
(日の出家 東松山市岩殿242 0493・34・4464)
コメント