川木建設を中心とするカワモクグループは、初代鈴木徳次郎が明治2年(1869)材木商「丹波屋」を開いたのに始まる。創業の地には、初代が建てた離れと200坪の日本庭園が今も残り、このほど川越の新名所「丹徳庭園」として一般に公開された。(株)丹徳の鈴木和子さんにご説明いただいた。
明治2年、材木商を開く
―オープンはいつですか。
鈴木 5月28日です。
―ここはカワモクグループの創業者のお宅ということですか。
鈴木 カワモクグループの元々の創業の家になります。
―「丹徳」とは。
鈴木 当家の祖先は、江戸時代は、城内にある梶田さんという材木商(丹清)で丁稚奉公をしておりました。城外に作る約束で暖簾分けをすることになり、うちをちょっと行ったところに城門があったので、ここに最初にお店を開いたそうです。明治2年(1869)のことです。当初は、「丹清」の「丹」をもらい、「丹波屋徳次郎」と名乗っていたのですが、「丹徳」と言われるようになったようです。
―カワモクに変わったのは。
鈴木 戦後、鈴木家と他の2軒と合同で事業を拡大することになり、その際「丹徳」は使わず、「川越木材工業」に。川越市民から「川もく」と呼ばれるようになりました。
―現在も鈴木家がカワモクグループを率いているわけですね。
鈴木 私の主人はカワモクホールディングスを、主人の弟が川木建設を経営しています。
―今は何代目に当たるのですか
鈴木 5代目です。
―前にあるイタリアンのお店の入っている建物は。
鈴木 あそこは元々郵便局でした。先々代のおばあちゃまはあそこで郵便局長。その後、カワモクの事務所に使ったこともありますが、今はイタリアンとタイ料理のレストランです。
明治34年築の離れと庭園を一般に公開
―今回公開したのは。
鈴木 離れの建物と庭園です。離れは初代が明治34年に建てたものです。
民泊を計画
―公開したきっかけは何ですか。
鈴木 カワモクの創業150周年の記念と、主人が民泊をしたいと常々申しておりまして。今許可をいただくために設備を整えている最中です。民泊は年180日しか稼働しないので、使わない間、一般の方にも見ていただこうと。
―民泊はどこを使われるのですか。
鈴木 離れの奥の6畳と、おやすみになるのは2階です。
―庭園はどのくらいの広さですか。
鈴木 200坪の、枯山水の庭園です。初代が造ったのはお稲荷さんあたりまで、先は先代が手をかけたようです。
―お稲荷さんはどのような。
鈴木 お稲荷さんは、寿徳明神と呼んでおり、初代徳次郎が明治22年くらいに京都の伏見稲荷に参拝し正一位稲荷大明神霊をいただき今も続いています。お庭もそのころにできたようです。
自分でたてる抹茶
―抹茶を出される。
鈴木 家族旅行で京都に行った時、抹茶を頼んだら、自分でたてるお抹茶が出てきて楽しかった。ここをオープンするにあたり、お抹茶を出すなら体験型のお抹茶をしようといこうとで、自分で茶筅を持ってお茶をたてていただきます。
7月からは、1日1組だけですが、ランチもお出ししております。
―川越の歴史・文化を世界に発信できる場になりました。
鈴木 材木商でしたので、欄間など建物の造りも現在では見られないほど精巧にできています。ただ、家族にとっては当たり前の空間で、子どもたちもここでかくれんぼや鬼ごっこをしたりしていました。皆さんが喜んでくださるとは、正直家族としては驚いています。
―どんな声がありますか。
鈴木 来られた方々は、「タイムスリップしたみたい」とか、「駅から近いのにこんなところがあるとは思わなかった」とか、川越女子高に通っていた方も「毎日塀の横を通っていたのに気がつかなかった」とか。
(取材2018年7月)
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