小説家、打木村治(1904~1990)は東松山市唐子で幼少期を過ごし、飯能市に長く住み当地で亡くなった。代表作の「天の園」は小学生時代の自らの心身の成長をたどり日本の3大児童文学作品の一つとされ、続編の「大地の園」は作者の旧制川越中学時代を詳細に描いた作品。打木村治の地元では、作品を広く知ってもらい地域・家族を見つめ直すという狙いで、「天の園」、「大地の園」のNHK朝ドラ化をすすめる運動を展開している。
打木村治は、3歳の時母の実家の唐子村に転居、唐子小に入学。川越中学(現川越高校)、第一早稲田高等学院を経て、早稲田大学政経学部卒業。大蔵省に入省するも川端康成の知遇を得て作家を志し同省を退職、文芸同人誌「作家群」を創刊した。
戦後の不遇時代の後、1972年「天の園」出版。作者の分身・保少年の唐子小入学から卒業までを描いた。同書で芸術選奨文部大臣賞、サンケイ児童出版文化賞など受賞。78年出版の続編の「大地の園」は川越中学時代5年間を4部構成でつづる。時代は明治の終わりから大正、ふるさとの美しい自然、周囲の人々の愛情、冒険や試練への思いを込めた。1963年から飯能市に居住、1990年86歳で亡くなった。
「天の園」、「大地の園」は、東松山市、川越市、入間市、飯能市、新潟まで舞台が広がっている。東松山市にはすでに「天の園」記念碑が建設され、「天の園」をアニメ化した「雲の学校」も制作・上映されている。さらに、主人公の魂の遍歴、生い立ちをNHKドラマ化する運動を展開するため、2014年に「打木村治の自伝的長編小説『天の園』『大地の園』NHK朝ドラ化をすすめる会」(荒井桂会長)が設立された。
主人公を深い愛情で支えたのは母親の「かつら」で、児童虐待やいじめや子育て問題がクローズアップされる今日、両書から家族・地域・教育・子育てなどを学びなおす意義は大きいとしている。
明治から昭和初期にかけ今の入間市に石川組製糸という会社があった。石川幾太郎が創業し、入間郡(現埼玉西部)に5工場、県外に4工場、5千人を超える従業員を抱え、1922年には出荷高で製糸業全国6位にまで成長した。「天の園」「大地の園」の小説中の「丸川製糸」は石川組製糸のことであり、主人公の姉「久仁子」(村治の姉匡代)は石川幾太郎の甥に嫁いでいる。
2020年8月、日高市の高麗神社で「第5回高麗偉人伝『石川組製糸と石川幾太郎展』」が開かれ、30日、関連イベントとして、「朝ドラ化をすすめる会」による「打木村治『大地の園』紙芝居」が上演された=写真。
なお、実業家・篤志家で名門ゴルフ場「霞ケ関カンツリー倶楽部」を開いた発智庄平は打木村治の母のいとこにあたり、小説中で親戚の銀行家「堀中剛平」として登場する。2020年に予定された東京オリンピックで同ゴルフ場がゴルフ競技の会場予定地になった。
(取材2020年8月)
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