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ラジウム泉と岩磐浴で 病気を癒す  やわらぎの湯  (福島県三春)

福島県三春町の「やわらぎの湯」。秋田県の玉川温泉、鳥取県の三朝温泉などと同様のラジウム温泉だ。地元で建設業を営む影山勝夫氏が、いくつかの不思議な導きから、25年前に開設し、後に岩磐浴場も開いた。東日本大震災と原子力発電所事故で、一時客足が途絶えたが、今再び、病に苦しむ人たちが、全国から湯治に押しかけている。

以下の記事は、影山社長による「やわらぎの湯 誕生ものがたり」の要約と、インタビューから構成しています。

 

誕生物語

2つのお告げ

 私自身まさか温泉を掘り、ここまでやわらぎの湯が成長するとは思っておりませんでした。私は根っからの在来木造建築の棟梁です。10代で大工見習いに入り、12歳で独立。40年間このみち一筋で歩んできました。

 建築大工という仕事は、お客様が安心して住んでいただけるようにと、規矩術・暦・方位学を大切にし、敷地と建物の配置、平面計画、地神祭、上棟式と言った作法を伝承しております。そうした中で、私は、大工職人達の安全祈願・商売繋盛を祈願するために、毎年1月の4日から5日にかけて成田山新勝寺に参拝して参りました。

成田山参拝のある年、成田山本堂で護摩炊きを受けていた時のことです。ご本尊不動明王よりお告げがありました。「お前の屋敷内に水がわき出しお前を助ける」というお告げであります。

私は何のことか分からず不思蔵に感じておりました。その後作業所を増設するために運命鑑定士に自宅においでいただきました。先生は自宅裏山に登り、空を見あげていたら突然「あそこに温泉が出る」と言うんです。また、自分のいる場所(現在の岩磐浴場滝桜)にも出ると言います。「社長すばらしい温泉です。この温泉で病気で苦しんでいる方達を救って下さい、頼みますよ」と言われました。しかし作業所の建設のことで頭がいっぱいで温泉のことはすっかり忘れておりました。

その後、社員用駐車場を拡張することになり、重機を入れて掘削を始めた所が地盤が軟らかく、重機が沈んでしまう。そこで地盤改良のために、重機を入れ替え掘削すると、3メーターぐらい堀り下げた所から水が噴き上げてきた。しかも、方位学上掘ってはならない「病門」。早速、運命鑑定士に電話でどのようにして埋めたらいいのか尋ねると、先生は喜んで、「出たでしょう病門の水。病を治す水、すばらしい温泉です」と。半信半疑で井戸として保存することにしました。

放射線を探知

やわらぎの湯の上の方に山を削り取って造成した町営の運動公園がありますが、山の木を切ったため保水力を失い、下流で洪水が頻繁に起こるようになっていました。そこで県は、洪水調整ダムを作るために、地質調査官を派遣し、調査を始めました。

ある日ふと事務所から外を見ると何か土を掘っては器具を当て測定をしている不思議な光景が目に入った。近づいてみると、ガーガーと音を立てて針が動いている。ガイガーミラー計数管である。私は敷地内にウランの鉱石でもあるのか興味がわき、今日は仕事は忙しくないので手伝いますよと言いました。この時、成田山の話し、運命鍵定士の話をしました。そして井戸の話をしたとき調査官の目がきらりと光った。ここには何かあると直感したのです。周囲約200メートルを四角に1メーター間隔に、少し土を掘っては計数管を当てた。0.02マイクロキュリーでした。

やがて、井戸の所までたどり着いた。ふたを開け、計数管を差し込むと針が振り切れてしまった。針を調整し直してもう一度計ると、倍の0.04マイクロキュリーの数値。

「これは日本で一番の鳥取県の三朝温泉に匹敵するすばらしいラジウム温泉です」「あなたに贈られた地球からのプレゼントですから大切にして是非世に出して人助けして下さい」と言われました。この時に、「天然放射能ラジウム温泉は万病に効果を現しますよ」とも。

私は当時は、病院で治らない病気が温泉で治るなんて考えられませんと言って馬鹿にしていました。しかも、この時は建設省の三春ダム建設に伴う移転家屋の受注工事で多忙を極め、温泉作りなど眼中にありませんでした。

以上、①成田山新勝寺の護摩供養の時のおつげ、②運命鑑定士さんが空を見上げて温泉が出ると言ったこと、③地質調査官がガイガー計数管を持参し、不思議な水をラジウム放射泉であると証明されたこと、不思議なことが3つありました。このことは不思議な力が作用しているような気がします。私に「ラジウム泉」を世に送り出すように、何か大きな力が働いているような気がしました。

平成3年(1991)、影山組は平沢村内の神社建築工事を請け負いました。すべて青森ひばを使用する事となり、下北半島の材木屋に行き材木一式を契約、工事は順調に進んでいきました。屋根の型板を小型2トン車につけて青森の材木屋に向かい、小雨降るみちのく有料道路にさしかかった時、車がスリップを始め、止まらない。車を側溝に落とし、縦に一回転して止まりました。

家内と2人は救急車で病院に運ばれました。私はまぶたを12針縫い、左肋骨2本が折れていました。妻も全身を強打。右腹部の肋骨2本折りました。警察官がこられ、病院で取り調べを受けたが、「あなた達は神かがりだね。即死してもおかしくない状態でしたよ」と言われました。

医師からは1ケ月の入院加療を言い渡されました。しかし病気の母と住み込み見習い5人さらに子供3人を待たせたままです。そして何より20日後に知人の結婚式の媒酌人を務めることになっていて養生している心境になれず、必死の思いで三春に戻りました。全身が特に頭が痛くて眠れぬ夜が続き、帰宅3日後の午後「お前を助ける水、お前を助ける水」と言う声が聞こえました。見習い生に井戸に水があるか見に行かせると、「水がある」といいます。見習い生達は水を風呂に運び沸かしてくれました。入ったら全身から泡が吹き出ししばらくすると痛みが除々に薄れてきました。

妻も同じだったと言いました。1日に5回も入りました。結婚式で気になるまぶたの傷口。タオルで蒸かしていたら2日後鏡の前でおそるおそるガーゼをはがすと、傷はきれいになっていました。私は喜びいっぱいで「治った」と家族も驚くほどの大声で叫びました。

そして、6月8日の結婚式で無事媒酌人の大役を務め上げました。

やわらぎの湯 開湯

事故の話が新聞のコラム欄に掲載さました。「不思議な水」の効能が地域に広がっていきました。朝から晩までお見舞いやら問い合わせの電話、さらには入浴を求める人達の対応にてんやわんやの日々が続いた。井戸にはポンプを備えて蛇口をつけたので誰でも自由に持ち帰ることが出来るようになりました。

そのうちに「無料ではお願いしにくいので有料にして下さい」「浴場をつくって下さい」という声が高まって来ました。鑑定士の先生に占ってもらうことにしました。先生の自宅に伺い玄関先で会ったとたん、「早く温泉作りなさいよ、社長、もし温泉を世に出さないとまた事故を起こしますよ」と。それでは小さな風呂を作って皆さん方のお役に立ちますか、と言うような軽い気持ちでやわらぎの湯を作ったのです。木造2階建て、平成4年1月のことです。

でも負担は私の妻にかかってきました。お客さんが多くなり従業員だけでは難しくなったのです。それは難病をお持ちのお客さんは、早く治りたい一心で時間を守らず、湯船につかりすぎます。ラジウム放射線は電離作用を起こしている関係なのか、すごく暖まり、脱衣室で倒れる方が多くなったのです。妻は救急介護さらに救急車の要請やらで大変になりました。

私はその姿を見るに見かねて、救急隊の方にも再三再四迷惑をおかけし申し訳ないので、温泉をやめようかと思いました。しかし藁をもつかむ思いで遠方からこられているお客さん達の声をよく耳にしました。やわらぎの湯に入ったら難病という病気が良くなった、歩けるようになったと。この方達のために、続けることにしたのです。

岩磐浴場開湯(やわらぎ岩磐浴場)

乳ガンの方や全身アトピーの方からは、「着物を着て入れる風呂を作ってくれるように」との要望がありました。何とかしなければという思いがありました。

平成元年、やわらぎの湯オープンの年、自宅前の山を切り下げ、影山組の事務所も新築しました。8年が経過し、ある朝早く切り土した中段の所に不思議に苔が生えているのが目にとまりました。苔の生えているところに放射能探知機を当てて見ると、なんと自然放射線の4倍のラジウム放射線を感知したのです。私はこれで皆さんの望んでいる着物を着て入れる浴場が出来ると確信しました。

早速このことを社員に話すと社員達は「社長またかい」と言ってそっぽを向きます。「建築屋が風呂を作って金儲けをしていると言われ我々肩身が狭い思いをしているんです」。仕方なく自分で掘削を始め、社員達もみかねて手伝うことになりました。大型重機を入れて3日目の時、土の色が真っ白に、4日目の黄色に変わったと報告を受けました。放射線探知機で測定すると自然放射線の4倍から5倍の数値が全般的に確認されました。

予定の高さまで切り下げると、岩磐は赤茶色・緑の帯状コバルトブルーの石黄色、そして白色とまばらであったが、5色の色で構成されていて、全般的に放射線が放出していました。

保健所もラジウム岩磐浴場やわらぎの湯として旅館法に基づく営業許可を出してくれました。平成8年、着物を着て入れるラジウム岩磐浴場やわらぎの湯が誕生しました。

岩磐浴場が出来てからお風呂だけの時より病気の回復力が早くなり、口コミで大勢のお客さんが県内はもとより県外からも訪れ手狭になりました。平成9年、第二岩磐浴場(やわらぎ観音岩磐浴場)が完成致しました。

やわらぎの湯は「岩盤浴」ではなく「岩磐浴」【磐】と記しています。

今でこそリラクゼーション施設として「岩盤浴」を名乗る施設はたくさんあります。しかし、やわらぎの湯の岩磐浴場は地球内部のマグマ、また地下50メートルの所に眠っている鉱石から放射されている自然放射線でありますので、磐は「皿(さら)」ではなく「石(いし)」を使っております。

やわらぎの湯は現在まで宣伝は一切しておりませんでした。すべて回復したお客さんのロコミで広まって行きました。

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インタビュー

体験レポート出版

―やわらぎの湯は、どんな病気に効果があるのですか。

影山 私は医者ではありませんので、治るとか治らないという話はできません。医学的な話もできません。

ここを開くきっかけになったのは、ダム建設の調査でここに来られた地質調査官が、ガイガー探知機でこの辺一帯を測定し、「これはすごいラジウム泉だ」と言われたことです。

その時、「何に効くの」と聞いたら、「神経痛、リウマチ、アトピー、糖尿病、花粉症・・・万病です」とのことでした。

ここには20年間いろいろな人が来て、いろいろなことを教えてくれました。体験談も多くあります。今回、福島建設工業新聞の八島信夫社長が聞き取ってくれて、体験レポート『みちのく霊泉やわらぎの湯』を刊行しました。

実際にあったこと、皆さんが体験したことから、いろいろなことがわかりました。

たとえば、ガンは36種類あるそうですが、そのすべてがこの湯でよくなるわけではありません。また、やわらぎの湯のラジウム線と体質が合っている方はすごく効果があります。しかし、悪くなったという人は今まで聞いていません。

放射線は光でもない、匂いも味もない。地球の表面、どこからでも出ている0.05マイクロシーベルト。岩磐浴場は、0.5、自然放射線の10倍です。ラジウム線は悪性腫瘍を破壊する作用があります。また、岩磐浴であたたまると正常細胞が活性化、免疫力が高まり、がん細胞に負けない細胞が作られ、がん細胞を正常細胞に変えていくのではないかと、私は考えています。

震災後、6年たちお客さん戻る

―東日本大震災と、原発事故の影響はありましたか。

影山 原子力発電所の事故があり、福島県は放射能が多いということになりました。原発の放射能とここのラジウム線が一緒に考えられてしまいました。新幹線が止まり、高速道路は工事用優先で、交通手段もなくなりました。当然、やわらぎの湯もお客さんはいなかったです。しかし5年たち、6年たって、除染が終わったとか、住民が故郷に帰ったとかテレビで放映され、お客さんが少しずつ戻ってきていますが、以前はこんなものではなかったです。

原発事故後、朝岩磐浴のお客さん向けに私が放送で話をしていたら、1人のお客さんが来て、東海村の原子力発電所の技師の方という。「普段から被爆しているのに、なぜさらにここに」と聞くと、「我々のは人工的な放射線で、それをやわらぎの湯の放射線は抜くことができる」と言っていました。むしろ解毒作用があるということでしょうか。

―ここの食事はおいしいですね。

影山 病気の方が多いので、肉やてんぷらは少なく、献立に苦労しています。料理長は大きなホテルにいた人ですが、地元のおばさんたちの意見を聞いて、地元の食材中心に、健康によい献立を工夫しています。

  (取材 2017年12月)

やわらぎの湯ホームページ
http://www.yawaragi-no-yu.jp/

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