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林家三平師匠も信仰 箭弓稲荷神社
 
(東松山市)

 

東松山と言えば名所は、箭弓(やきゅう)稲荷神社。駅に近く、由緒ある歴史、広大な境内、荘厳な社殿、などから全国的にも有力な稲荷神社で、日本五大稲荷に数えられることもある。歌舞伎役者や、野球選手の信仰もあつい。神社の歴史、由来などについてお聞きした。

     
         
 


1300年の歴史

―神社についてあらためてご紹介をお願いできますか。

「当社は箭弓(やきゅう)稲荷と言いまして、「箭」は読みくいですが、旧漢字で「矢」の意味です。お稲荷さんですので、ご本社は京都の伏見稲荷で、今から1300年ほど前、奈良時代の和銅5年、御霊をいただいてこちらにおまつりしたのが始まりと言い伝えられています」

―豊作を願う神としてまつられたのですか。

「元々、日本人はまず恵みを与えてくれる自然に感謝し、そこから神が生まれたと考えられます。大地であり、太陽であり、私たちの力ではどうにもならない自然に対して、恐れたり敬ったりした。八百万(やおよろず)の神と言われるようにあらゆる自然には神さま(霊)が宿っていると考えたんでしょう。それがお宮をおまつりする始めだったんです。

もちろん、農耕民族ですから作物が実るようにと願うのは当然ですが。たまたまここは、すぐ前が水田で周りより高くなっており、社ができたんだと思います」

―どうして「箭弓」という名に。

「このあたりは元々、野久ケ原という地名でした。それが平安時代の中ごろに、源氏の大将、源頼信がここに陣を張り、謀反をおこし川越まで攻めてきた平忠常を打ち破ったことがありました。源氏が東国に出てくる最初の戦です。その時、頼信が「野久稲荷大明神」の「野久」すなわち矢弓に通じ、武門の神であるということで「箭弓」という字に直して社殿を奉納していただいたということです」

   
                    拝殿・本殿

團十郎稲荷(穴宮)

―それ以来、関東における代表的な稲荷神社として信仰を集めたわけですね。

「特に川越城主の松平大和守様には親筆の額もご奉納いただいています。現在でも末裔の方が参拝においでになります。

江戸時代が一番にぎやかだったようです。江戸からおいでになる方も多く、境内に旅籠が21軒ありました。旧中仙道は桶川からこちらに向かっていたようで、「稲荷道」と書いた石の道標が今も残っています」

―「團十郎稲荷(穴宮)という社があるんですね。

「歌舞伎役者の七代目市川團十郎に、最初は石の祠をご奉納いただいたものです。以前は境内に狐を飼っており、戦後しばらくまでいて、私も学生のころ見ました。歌舞伎役者としては狐の出る出し物がありますので、当社の狐のしぐさを見て芸を磨いて演じたら大当たりしたということで、祠をご奉納いただきました」

 

―それで穴宮は芸能の神様とされているのですか。

「芸道向上の神さまと言われています。芸能と技術ですね」

―故林家三平師匠も信仰されていたといいますね。

「三平さんの東京・根岸のお宅にはうちの分霊がおまつりされています。石柱も奉納していただいております」

 

東武の根津嘉一郎社長が牡丹奉納

―牡丹園が名所になっています。

「大正12年に、東上線が坂戸から東松山まで延びた記念に、東武の根津嘉一郎社長に牡丹と松と藤をご奉納いただいて、できたんです。4月中旬から5月初めに牡丹祭りを開いています。

 ただ、牡丹は年中見られるわけでありませんので、自慢は何ですかと言われたら、ご社殿の周りにすばらしい彫刻がたくさんついているのでご覧ください。社殿は江戸時代に建て替えた建築ですが、すごいです。外から見えます」

 

―参拝される方は最近はどうですか。

「減っているとは思っていません。初詣と3月初めの午の日の初午、あとは牡丹祭り。特にお正月にあれだけの人が来てくれますし、普段でも毎日来られる方もいます」

―何を祈願される人が多いですか。

「お稲荷さんですので、五穀が豊かに実るというのが本来の使命だと思います。そこから商売繁盛が多くなりました・

神社は本来個人のお願いをするところではなく集落みんながよくなれというお願いをしたのが始まりです。それが時代の流れで、自分がよければという方が多くなりました」

―以前はそれだけ栄えたのに、現在の神社の周辺はさびしいですね。

「元々東松山の駅は西口がなかったんです。こちら側に住宅は少なく、商店街もなかった。戦前からディーゼル機器(現ボッシュ)という大きな会社がありましたが」 

―参道は。

「道路(のコース)が変わってしまいました。一の鳥居は踏み切りの向こうに今もあります」

―駅前再開発で撤去された赤い鳥居は。

「あれはうちで作ったものではなかったんです」

                   

バット絵馬

―「バット絵馬」というユニークな絵馬があるんですね。

「(「箭弓」が「野球」に通じるというので)西武ライオンズの選手が必勝祈願でお参りに来るようになり、少年野球、高校野球の子どもたちがユニフォームでお参りに来るようになりました。ところが記念にお持ち帰りいただくものがなかったんです。そんなときやはり鈴木永治さんから提案があり、普通の絵馬を逆さにしたらホームベースの形になったんです。簡単な発想です。それと、小さなバットの形をしたバット絵馬もできました」

  

―今後について。

「現在は門前にお店がないですから、できれば何店か軒を連ねて販売してくれれば。境内には最近茶店がオープンしました。手打ちうどんがうまいですよ。それと、商工会とか観光協会がもう少し協力してくれるといいんですが。東松山を、ヤキトリだけでなく、武蔵武士の歴史とそれに関わるおお稲荷さんでもアピールしたいですね」

(本記事は「東上沿線物語」第31号掲載の澤田昌生宮司=当時のインタビューを一部改変したものです)

 
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