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三富新田の祈願寺多聞院 武田信玄の守り本尊毘沙門天をまつり柳沢吉保が開く

所沢市中富にある多聞院。元禄期、徳川幕府老中で川越藩主であった柳澤吉保が三富(上富・中冨・下富)新田開発を行った際祈願寺として創建した。本尊の黄金の毘沙門天像は、武田信玄が戦に出陣する際身に着けていた守り本尊だった。今は、12年に一度、寅年の5月1日に開帳される。 

三富新田の祈願寺

5代将軍徳川綱吉公に側用人として仕え川越藩主でもあった柳澤吉保は、将軍から三富新田を開拓する責任の役に命ぜられ、曽根権太夫という家臣に三富開拓を指示した。元禄9年(1696)に開拓のだいたいの形が出来上がり、村内に多福寺と多聞院の2つの寺を創建した。

多福寺は地割の中心に位置し、開拓民の菩提寺に。一方多聞院は婚礼、お宮参り、七五三、地鎮祭など、祈願事、加持祈祷を司った。また子ども達を集めて読み書きを教える寺子屋でもあった。

住職は「柳澤」を名乗り、今17

多福寺は臨済宗、多聞院は真言宗と決め、住職はそれぞれの宗門から招聘した。両寺とも、住職は「柳澤」を名乗る。多聞院の初代は今の東京・新宿にある愛染院住職を開山としてまねく。現柳澤弘仁住職(62)は17代目になる。ただ、江戸期の僧侶は妻帯しなかったので血がつながっているのは、14代以降という。 

柳澤吉保公は武田信玄の遺臣の末裔

多聞院にある毘沙門堂の本尊は毘沙門天像。毘沙門天は七福神の一つであり、四天王の中の多聞天は毘沙門天のこと。毘沙門天(多聞天)を本尊としたことから、多聞院の名がつけられた。


毘沙門堂

本尊の毘沙門天像は、金色で、1寸ちょっと(3、4センチ)と小さい。この像は、武田信玄が戦勝を祈願し兜の中に入れて戦場に赴いていたと伝えられる。上杉謙信との第4次川中島の戦いの際、信玄はこの毘沙門天で命を救われ、以後信仰を深めたという。

柳澤吉保は武田信玄の遺臣の末裔にあたる。今、武田氏菩提寺の恵林寺(甲州市)には信玄の墓とともに吉保公の墓がある。吉保は5代将軍の時代なので信玄とは時代が離れているが、元々武田の出なので信玄が守り本尊にしていた毘沙門天を守っていた。吉保は三富を開拓した時信玄遺品の毘沙門天を多聞院のご本尊に祀り、国と徳川家、三富の人たちを守ろうとしたのではないかと考えられる。

毘沙門天像は普段は観られない。約300年間秘仏とされてきたが、20数年前、本堂建て替えの落慶記念に初めて開帳した。以後、途絶えていた寅まつりを復活し(5月1日)、寅年の寅まつりの日に開帳している。次は再来年(2022年)になる。

毘沙門天のお使いが寅とされる(あるいは百足とする場合もある)。多聞院では、例大祭とし寅まつりを開くほか、毘沙門堂前には、狛犬でなく、狛寅を配置している。また、毘沙門さまのお使いである寅に自分に降りかかる災いを託して納めていただくということで、参拝者に「身がわり寅」という御守りを用意している。


狛寅

多聞院は今でも、祈願事で訪れる人が主だ。大祭は寅まつり、冬至の星祭り、新年の初護摩。毎月3の日は護摩をたく。毘沙門天は、武の神とされ、勝負ごとの祈願が多い。 

 境内にはいろいろ興味深いスポットがある。

山野草

多聞院は牡丹寺とも呼ばれ、牡丹が有名だが、随所に野草も植えられている。柳澤住職は、山野草を趣味とし、所沢市の野草の会の協力も得て、珍しい植物、絶滅しそうな植物を選んで育てている。「好きなので楽しみながらやっています」と言う。


山野草(八角蓮)

力石

戦前まで行われていた寅祭りには、大勢の毘沙門講の信者たちが地元はじめ多摩地域など遠方からも訪れた。お祭りの催しものに、石を持ち上げる力比べがあり、それに使われていた石。講は戦時に途絶えた。

がまん鬼

鬼は荒くれ者だが、今の世の中ではじっと我慢しているので、皆さんも見習いなさいと。

 


がまん鬼

お多福おばば

普通は仏像があると何かお願いごとをするが、お多福おばばは、おばばがお参りに来てくれた人たちに、今日はありがとう、無事に帰ってねと、願ってくれる。


お多福おばば

 

青龍寺

奥多摩新四国八十八ヶ所霊場三十六番札所「土佐國・青龍寺」。平成25年9月、入間市豊岡より所沢市宝泉寺を経て勧請。

 

笠地蔵

子どもの昔話。

「むかしむかし貧しいけれれどそれはそれは仲の良いおじいさんとおばあさんがいました。明日はお正月だというのに、村のお地蔵さん(6地蔵)にお供えするものもない。それではと、おじいさんが笠を町に売りに行きました。しかし、みんな大忙しで誰も買ってくれない。夕方になり、トボトボと村に帰る途中雪が降り出した。辻まで来ると、6地蔵が雪をかぶっていた。おじいさんは、お地蔵さんの頭に積もった雪を払い、売れなかった笠をかけてあげた。笠は5つしかなかったので、最後の1つには自分でしていたほっかむりをしてあげた。おうちに帰り、おばあさんにその話をした。おじいさんいいことしたねえ。その日はたくわんとお湯を飲んで寝ました。夜中に山の寺から除夜の鐘が聞こえる。真夜中、シャン・シャン・シャリーンと錫杖の音が近づいてくる。止まったら、ドサドサッと大きな音。しばらくして戸を開けて見ると、笠をかぶったお地蔵さんたちが帰っていく後ろ姿。家の前には、野菜、米俵、いろいろなものがどっさり。お地蔵さんがお礼におみやげを持ってきてくれた。おじいさんとおばあさんは夜が明けると、急いでお雑煮などを作り、笠地蔵にお供えに行き、貧しい人たちにも分けてあげました」(別のお話もある)

笠地蔵6体は、数年前につくった。この昔話は意外に忘れている人もいるので、思い出してもらいたいという。


笠地蔵

(本記事は、2020年6月、柳澤弘仁住職のお話、寺院案内、関連資料などにより作成しました)

 多聞院 所沢市中富1501