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 アトリエを提供し芸術家を支援 コレクションを地域に公開
丸沼芸術の森 
須崎勝茂氏(朝霞市)

 
 朝霞市
内間木、荒川堤防に近く、倉庫と田園に囲まれた地に、「丸沼芸術の森」がある。若い芸術家に廉価でアトリエを提供、支援・育成しようという作家村だ。昭和60年から地元の丸沼倉庫社長の須崎勝茂氏が、社会貢献事業として開いている。

作家は原則10年間は滞在できる。このような長期にわたる「アーティストインレジデンス」は国内では他に例がない。世界的に有名になった画家、村上隆氏も、ここから巣立った一人だ。

作家の育成とともに、アンドリュー・ワイエス、ベン・シャーンらの作品から成る「丸沼コレクション」を収集、「芸術の森」における毎年の展覧会(「アンドリュー・ワイエス水彩素描展&フォーラム」他)を含め各地で公開するなど、芸術文化の普及にも努めている。
須崎勝茂社長にお話をうかがった。

 

                  

文化・芸術がこれからの財産

―そもそも作家村を作られた経緯は。

須崎 うちのおじいさんに「何か趣味を持たなくちゃだめだ」と言われて、陶芸を始めたんですよ。東京芸大を卒業した人(榎本洋二)に陶芸を習ったが、その人が一度やめて、しばらくして2、3人で戻ってきて、「作業する場所がない」と。「そこに土地があるけど使ってみたらどうだ」と。

―結果的にはアトリエも。

須崎 最初は、土地を貸して、建物は自分たちでということだったが、芸術家っていうのは喧嘩ばっかりするんだよ。個性があるから。じゃあ、1軒ずつアトリエを作ったらと。僕が取りあえず立て替えようということで。

―本格的に作家を支援しようと考えたのは。

須崎 これから我々が遺しておかなければならないのは何なのかという原点に戻ったときに、やはり、文化・芸術がね、これからの一番の財産じゃないか、と考えた。

―コレクションはどのように。

須崎 芸術を志す若い皆さんに本物を見せようと、日曜日になれば、美術館、デパートの個展へ連れて行った。勉強になるんであれば買ってあげましょう、ということで。

ワイエスのコレクション

―ワイエスのコレクションも。

須崎 そうです。ワイエスは「クリスティーヌの世界」を30年間描き続け、家とモデルのデッサンとかスケッチを全部で250何点描いた。そのうち塔だとか窓だとか壁だとか、238点を持っています。

―ワイエスのデッサンをまとめて持っている方は他にいないわけですか。

須崎 僕だけです。作家というのは、素描を、出したがらない。僕は運よく、絵との出会いがあった。

 

他は、ベン・シャーン。ベンシャーンは、200点持っているけど、先日、埼玉県立美術館で、ベン・シャーン展やりたいとうことでお貸しした。

―ワイエスもベン・シャーンも動機は作家の育成。

須崎 そうです。投資とかじゃなくて。それと、人が人として育つ環境を財産として残すということ。やっぱり、心を豊かにしなければ、いい人は育たない。

だから、ワイエス展は、ちゃんといろんな所でやっています。この絵を預かったのは97年だと思うが、その後ずっとミュージアムに献金してるし、フォーラム、勉強会も開く。だから、うちみたいな不便な所に、(ワイエス展で)3週間で千人くらい来るんだから。

食えるようになるまで育てる 

―作家さんに対して、社長からいろいろ条件が。

須崎 まず、紹介だよね。直接来てもらっちゃ困る。お会いさせていただいて、自分の夢だとかを聞いた上で、まあいいだろうということなの。それで、1年に1回、レポートを出させてます。「どういうふうに1年送ったのか」、そして「1年先、自分はどういうことを勉強するためにこのアトリエにいるのか」、の2点。それと、「紙にデッサン描いてこい」と。

―将来有望な人を選んでいる。

須崎 有望か有望じゃないかより、とりあえず人柄ですよね。それと、「有名になったら出て行け」と。まあ一生食えないんだけど、食えるようになるまで育てるのが僕の仕事じゃないかと。

世界的アーティストになった村上隆 

―村上隆さんは、どういうきっかけでこちらに。

須崎 (陶芸家)榎本洋二に「面白い作家いるから」って言われ、観に行った。そしたら、村上隆が、「須崎さん、この作品全部買って下さい」と。37点、買うはめになったわけ。しばらくしたら、村上隆が来て、「博士課程卒業したら(学校を)出されちゃった」と。

37点買ったときに、村上が「初めて買ってくれるんだから恩返ししたい」と。一つは、「僕は必ず、日本画の博士になります」。もう一つは「世界で3本の指に入るアーティストになります」と。だまされたと思ったね。村上隆が博士になったとき、公衆電話から携帯に連絡がありましたよ。今、世界で何本の指かわかんないけど、世界的なアーティスト。

朝霞市を文化の発信基地に 

―今後の計画は。

須崎 文化の発信基地として朝霞をどう広めていくか。市や県と協力してね、コレクションを一人でも多くの人に観てもらい、人を育てるための教育材料として使ってもらえばありがたいなと。

―今の若手の作家に対して、ひとこと。

須崎 よく言うんだけどね、芸術家っていうのは芸なんですよ、職人芸。それがね、2030代で先生って言われると、その気になっちゃうんですよ。僕は、「なぜ、先生って画商の連中から言われてるか分かるか」って。職人が作ったって言ったら売れないから。そういうことははっきり言ってやらないと大きな間違い犯す。

   (本記事は「東上沿線物語」第5号=2007年9月に掲載されたものです)