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ヒキコマハジマル

名店の灯 守る
銀座スエヒロ 三芳店

(スエヒロフーズ)

 
 かつてステーキの名店だった「銀座スエヒロ」。その直営だった店が三芳町の川越街道沿いに残り、味を守り続ける。小泉市朗社長は、往年の銀座店の復活を期す。



   

銀座に7階建てのビル

―お生まれはどちらですか。

小泉 志木の生まれで志木の育ちです。

―レストランの道に入ったのは。

小泉 大学は地元で立教だったんですけども、大学三年の時サラリーマンには向いてないなと思って調理師学校に行ったんですね。四年になって、天皇陛下の料理番をやった斎藤文次郎さんって方の紹介で、スエヒロに入ったんです。当時は大卒は少なかったんですけど。

―奥様(美知子さん)は先代のお嬢さんだそうですが。

小泉 スエヒロに入ったときに、たまたま同じ職場に女性がいたわけです。社長の娘を誘ったとかで、ずいぶん長いことごたごたあったんですよ。大東ガス(当時は東上ガス)にいた叔父が、先代と会ってくれてから、一緒にさせたらどうかっていうことになったんですね。

―それからは大事にされたのではないですか。

小泉 先代は自分が見つけた相手じゃないから、ずいぶん厳しく接しられたんですけども。ある日わだかまりが突然溶けてから、もうすべて、どこ行くんでも一緒に連れてってもらったり、スエヒロの仕事を一緒にやってきたんですよね。

―先代、石原仁太郎氏はスエヒロの創業者ですか。

小泉 銀座スエヒロの創業者です。もともと大阪にそういう店ができて、そこで丁稚で入った人間が東京に出てきた。

―入社当時の、「銀座スエヒロ」っていうのは超有名店ですよね。

小泉 銀座の松坂屋の裏に、七階建のビル。地下から全部スエヒロだったんです。あと、築地に九階建のビル。それも地下から九階まで全部スエヒロ。ビルを全部一つの店舗が使うところは、ほとんどないと思います。

店つくりも味もそのまま

―先代は、どんな人だったんですか。

小泉 当時は自分も、ただひたすら一緒にいたんでわからなかったですが、今から考えると、そうですね~、とんでもない、日本を代表するような、人だと思いますね。ええ。容姿もそうですけども、あらゆる面で。

―容姿というと。

小泉 この銅像(三芳店に設置)がそうですけども、とにかく大きい。若いとき百キロ以上って言ってましたから。

                           

アメリカ産の牛肉を、日本で最初に取り入れて、「アメリカ産」という表示をして売り出したのも先代なんですよね。アメリカ大使館からも表彰されたりしてました。

―こちらにお店を開かれたいきさつは。

小泉 この店は今年(2007年)で30年なんです。その当時、私は銀座のお店の責任者、あと全体の調理長もやってたんですが、「ちょっと行こう」っていうんで、見に来たところが、川越街道沿いに、店なんかどこもないんですよね。「やめた方がいいんじゃないですか」って言ったけれども、「地元の方に自分の店を持ってなさい。自分だけの店っていうのが必要になってくるから」ってことを言われて、やる事に決まったんですよね。

―店作りは当時のスエヒロのまま。

小泉 先代が店を見て、全部自分で図面を描いて、あとはもう、お店の大工さんに言って。全部が先代のお手製というか。

―今も、当時のまま。

小泉 そうです。ですから、30年以上前でも、ものすごく進んでるわけです。サラダなんかも、自分でお替りできるようにする。今でこそサラダバーなんかありますけど。ステーキを焼いてるのが見えるのがいいとか、あらゆる面で、今でも全然、やり方としては古くないんですよね。

―メニューも、銀座店と同じですか。

小泉 そうです。銀座では、階によって、いくらか高級な階もあったんですけども、一階とか地下とかは、一般の方に召し上がっていただくようなあれだったんです。それと同じに。ここだけは今でも、ほとんど同じメニューなんですよね。

炭で焼く

―チャコールというのは、炭でステーキを焼く機械。

小泉 炭です。店の前にあるチャコールは、見本ってことでイギリスから輸入したものなんですよね。元は、銀座の店の入り口に飾ってた。

―燃料は今も炭なんですか。

小泉 炭です。全部、炭。微妙に違うんです、炭で焼いたのと、ガスとかそういう燃料で焼いたのと。

―先代が、昭和60年に亡くなった。そのあと、銀座のスエヒロは。

小泉 私の家内の兄が後を継いだんですけども、全部ビルを壊して、新しいビルをつくったりとか。色々やったもんですから。

―今、銀座スエヒロってないんですか。

小泉 建物を売っちゃって、その中のほんの地下だけ、ちょっと小さいスペースでやってますけども。それでうちは、銅像と、こういうの(機械など)を、引き取った。


―石原さんのつくられた名店「銀座スエヒロ」の後を継いでいるということですね。

小泉 まあ、そのつもりなんですけど。ほんとにそのままで残したいって思ってやってるだけで、それは自分の気持ちですから。

―コックさんとか人も継いでおられるのですか。

小泉 当時の銀座の店で、ずいぶん若手で、それこそまだまだ、二十歳前から先代にかわいがられていたコックさんなんかもこっちに引っ越してきた。

再び銀座に店を


―最近の外食業界についてなにか。

小泉 しょせん、飲食っていうのは、そこの商店のおやじといいますか、基本的には、家族でやるような食堂が基本でしょうから。店舗を増やすっていうことは、それだけお客さんにサービスもいかない。形だけのサービスっていうのは、やはり長持ちしないから。やっぱりすべては心の問題だと思いますよね。心が通じ合えるようなお店を目指すのが、長持ちといいますかね、そこに結局は帰ってくるということじゃないでしょうかね。

―銀座スエヒロ時代の味が懐かしくて、来るようなお客さんもいらっしゃるんですか。

小泉 いらっしゃいますね。で、関越使ってわざわざ新宿の方から見える方。「まさかこんな所に、本物のスエヒロの味があるとは思わなかった。昔、銀座の店に、親につれてってもらったそのまんまの味なんだ」と。

―今、お歳は。

小泉 昭和21年生まれです。

―何か、これから予定していることはありますか。

小泉 具体的じゃないですけどね。自分のやりたいのは、やっぱり、本当においしい店をまた、銀座に出したい。


―銀座スエヒロ復活ですね。


小泉 したいですよね。ええ。

              
 

     (本記事は、「東上沿線物語」2007年1月号に掲載したものです)

   
              

      

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