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5期目に入る 関野兼太郎富士見市議 防災・教育。市役所のIT化などで実績 今、水谷・柳瀬川地区の開発に取り組む

富士見市の関野兼太郎市議会議員は、3月の選挙で当選し、5期目に入った。水谷東地区や水谷地区を地盤とし、防災、教育問題などで地域の声を聞き、地道な活動を積み重ねてきた。市政の電子化、IT化も、推進役になった。今後、重点課題として見据えるのが、柳瀬川流域にあたる地元、水谷・柳瀬川地区の大規模開発だ。

議会最長老に

―今回、3月の市議選で当選されたわけですが、何期目ですか

関野 今まで4期務め、5回目の当選となりました。

―会派は。

関野 「21・未来クラブ」という保守系の会派です。星野光弘現市長、星野信吾前市長も所属していました。今7名で、最大会派となります。

―関野さんは、市議の最年長になったのですか。

関野 私は66歳で、一番年上になりましたが、自分自身も少し違和感があります。他市では60代、70代で市議選に初挑戦されている方もいます。富士見市の市議の平均年齢は全国的に見ても低いのではないでしょうか

水害地域の防災に取り組む

―これまで、市議として重点的に取り組んだことは。

関野 私のスローガンは、「心ふれあう安心のまちづくり」で、安心・安全が活動のベースです。この地域(水谷東、柳瀬川流域)は、昭和50年代頃まで雨が降れば必ず水害が発生しました。私は、昭和37年から志木にいて56年に戻りましたが、その頃も水害がありました。私は、まずPTAで、その後町会の副会長、会長として地域に関わりましたが、その活動のテーマが防災でした。

 もう1つ、PTA役員をした関係で教育です。「さわやか相談室」(学校内の空き教室を利用した相談、県の委嘱事業から市独自事業に移行)のボランティア相談員を7、8年務め、不登校とかいじめに関心を持ち、議会でも発言しました。

―具体的成果をあげていただくと。

関野 前期では、水谷地域が市街化地域に編入され、新しい家が建ったことで、畑の保水能力が落ち、流れ込む雨水が危険と訴えました。新河岸川に排水する別所雨水ポンプ場にポンプ口を1つ増瀬していただき、水路改修の工事をしています。

 教育では、私は毎朝10年来水谷東小学校の通学路に立っています。私は、選挙で駅に立ったことはありません。「駅に立つより役に立つ」がスローガンです。前期も、別の水谷小学校ですが、通学路に危険な場所があり、横断歩道をつけるべきと議会で質問。結果、歩道がつき、交通指導員も配置してくれました。

―市役所のIT化を進められたとお聞きしましたが。

関野 10年以上前でしょうか。最初にペーパーレス化を進めました。分厚い議会の議事録をCDに。今はそれすらなく、ネット上の会議録検索システムです。図書館の検索システム、図書の配送もお願い。あるいは、システム保守の委託経費についても、いろいろ発言させていただき、最近では、役所業務へのタブレットの導入についても働きかけています。

―関野さんはコンピューターの専門家だったのですか。

関野 文系なのですが、高校時代からアマチュア無線をいじったり、家内の弟がコンピューターの仕事をしている関係で、なじんでいました。ホームページも自分でも作成しています。

大学の誘致の話も

―5期目に取り組みたいことは。

関野 水谷・柳瀬川ゾーンの都市開発です。柳瀬川流域の水田地帯ですが、農家は後継者がいなくて耕作ができない状態なんです。駅から近くてこれだけの広さの土地は首都圏にはないです。昔はリブレーヌ(水辺都市、住宅と遊水池による開発)という開発計画がありましたが、取りやめになりました。今、商業系ではなく、産業系で開発できればというお話をしています。その中で、今ある大学が進出したいという要望があります。それを含めこの地域の開発に何とか具体的に進めていけたらと考えています。

 その一つの目玉が、柳瀬川にかかる富士見橋から真っすぐ抜ける都市計画道路(富士見橋通線)です。それを早期実現してほしいと話しています。星野信吾前市長の後半から道路だけ先に作っていくという考え方に変わり、29年度予算で、都計道の調査費がつきました。

―大学は決定したのではないのですか。

関野 まだです。私の知り合いの大学の方とお話しさせていただいたところ、先に進出を表明した先と係争中なので待ってほしい、という言い方でした。

―校舎が建つのでしょうか。

関野 グラウンドと一部の学部です。何とか実現するように市に働きかけています。支持者から「おいカネちゃん、俺の目の黒いうちに景色を変えてくれ」と言われています。

昭和56年に酒店で独立

―生まれは。

関野 現住所です。

―実家が酒店だったのですか。

関野 普通のサラリーマンでしたが、私が中学1年の時志木に引っ越し、そこで酒屋を始めました。私は56年に支店を出す形で、こちらで独立したわけです。

―酒屋さんの経営はどうですか。

関野 今、ディスカウントストアなどで買われる方が増え、厳しいですね。

―市議に出たのは。

関野 ちょうど50歳の時です。たまたま地域で保守系の議員さんの議席が空いたので頼まれて出ました。

―市議の仕事と商売の両立は大変ではないですか。

関野 基本的に、議員の仕事を最優先すべきですから、なかなか勤めをしながらでは難しい。自営業でも自分の店を見る時間はかなり減ります。それだけ責任ある仕事だと思います。

―やってきて、どうですか。

関野 いろいろなところで発言させていただいたり、地域の方から要望を受けたり、とてもやりがいがあります。

―市議の一番の仕事は何でしょうか。

関野 地域の声を聞き、地域をよく見て、地域をよくすることだと思います。一方で、議員個人としては、自らの資質を高めていかねばなりません。あとは意欲と情熱でしょうか。

市の財政基盤の強化を

―富士見市の課題は。

関野 やはり、しっかりとした財政基盤を確立することでしょうか。法人税収よりたばこ税収の方が多い現状です。自主財源を確保する力をつけ、投資的経費を確保できれば、それが政策のよい循環を生み出し、住まれる方が増えていくのではないでしょうか。

―産業基盤を強化するにはどうすればよいでしょうか。

関野 商工会では起業される方の力を借りる方針ですし、星野光弘新市長もアクティブシニアの力を借りて、起業している方の支援をしていこうと言われています。大きな企業、工場を呼ぶのは、なかなか難しいので、個人の起業環境を整えていくことも一つの道と思います。

―富士見市の都市計画に問題があるという指摘もありますが。

関野 今までは、基準が整えば小さな家でも建ててしまうというやり方でした。すると、子育て中は、保育所、放課後児童クラブが必要、子どもが大きくなると、家が狭いので出て行き、今度は高齢者対策が必要になる。昭和42年頃、富士見市は人口増加率で全国2位になったことがあります。その頃、予算の50%が学校建設の年がありました。その頃にできた家が今大きな問題になっています。だからある一定の基準の家を作っていかなければいけないのではと思っています。水谷地区では、1区画最低でも100㎡というかたちで作り始めています。

蛍のいる町に

―富士見市の好きなところは。

関野 自然もあって、都会へも便利というところでしょうか。それと近所との距離感が近い。

―今後の夢は。

関野 私の子供の頃、近くに用水があり、蛍がいました。キラキラした町でなく、もう1回、蛍が身近にいる町を戻したいという気持ちがあります。

(取材2017年4月)

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