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坂戸グランドホテル物語
地域の情報発信基地として再生

 
 坂戸市の関越道鶴ヶ島インター近くの住宅地に建つ坂戸グランドホテル・WIN。豪華なロビーに宴会場、レストラン、チャペルを備えた本格的な都市型ホテルだ。過去には、金融機関の破綻にまき込まれ、危機の時代もあった。今、カルチャースクール事業に力を入れ、地域の情報発信基地として再生が軌道に乗っている。同ホテルとともに歩んできた、志村実坂戸グランドホテル(株)専務にお話をうかがった。

 

  

昭和45年、結婚式場として始まる

              

-このホテルはいつ頃できたのですか。

志村 私の叔母にあたる石田まつが創業しました。元々坂戸駅近くで小料理屋をしていたのですが、昭和45年に、若者の未来の手助けをしたいと、ウェディングパレス石松という名で結婚式場を開いたのが始まりです。田舎から出てくる人達が泊まれるよう宿泊施設も備えました。

-都市型ホテルになったのは。

志村 叔母の息子が経営を引き継ぎ、昭和58年、坂戸グランドホテルの名で現在の都市型ホテルを建設しました。

-近隣にはない豪華なホテルです。

志村 大きな借金をして作りましたから、当時では、延床1万平米を超える施設は周辺ではインパクトのある建物でした。折からの婚礼ブームもあり、最盛期には年間600組もの挙式がありました。しかし、時代の流れとともに、その後は結婚式も減り、下り坂をたどります。


          
                      ローズガーデン、奥はチャペル

  

小川信金の破綻で不良債権化


-そして一時は危機に陥ったわけですね。

志村 メインの金融機関は小川信用金庫でしたので、同金庫が平成11年に破綻し、債務整理をする時に当ホテルは不良債権として13年にRCC(整理回収機構)に売却されました。この間、RCC脱却に向け取り組んだのですが、抜き出すことが出来ず、平成16年には「グランドホテルは競売に付す」との最後通牒が来ました。従兄弟の社長が、「もはや打つ手が無く、万事休すだ」と報告に来たのですが、私は長い間、自分のことよりも、何時も人様のことを気にかけ、全力投球で取り組んできた叔母の人生を見てきましたので、それを一片のハガキで終わりにしたくなかったのです。「一週間私に時間をくれ、その間動くな」と社長に伝え、早速行動を開始しました。
 直ちに当時の坂戸市の市長さんにお願いし、RCCに存続のための嘆願書を出していただきました。私が考えだしたのは、地域再生ファンドによる事業再生、復活でした。地域の有力者にホテル再生について説明と協力に駆けずり回り、賛同者を募りました。その結果、協力者は集まったものの支援いただく資金が足りなかったのです。 はて、どうしたものかと頭を痛めていたところ、偶然、ネット上で、埼玉県に中小企業再生支援協議会(国の機関)というのができたことを知ったのです。早速、ここに支援してもらおうと、訪問しお願いをしました。厳しい審査のヒヤリングを経て、ようやく支援が決まりました。地域再生ファンドの枠組みが纏まったのです。翌年1月、RCCから再生のための新会社坂戸グランドホテルに、債権が譲渡され、事業再生企業として誕生、生き残ることが出来ました。


-地域再生ファンドがホテルを買い取ったということですか。

志村 そうです。地域の商店主や一般の主婦など10数人が、再生の新会社に出資してくれ協力してくれたのです。当時は叔母も生存しており、多くに皆さんからその生き様を尊敬されていましたから、広く倒産の新聞報道がなされた企業にもかかわらず、協力、支援したいと言ってくれました。

-当時、志村さんはどのようなお立場だったのですか。

志村 鶴ヶ島市の助役をしていました。地元の皆さんには、主に私が説明、説得に回りました。RCCや銀行団との折衝には、時には際どい議論も有ったので、敢えて、公務員であることは伏せました。平成17年2月に再生企業としての事業が再開し、私は11月に市を退職し、専務としてホテルに入りました。社長は、建設業を経営していた私の弟に頼みました。


現在は(株)ビコーの瀧澤氏がオーナー


-その後、別の資本が入るわけですか。

志村 平成17年から23年まで、私と弟が経営を担当しました。しかし、東日本大震災で、およそ3カ月間にわたり大小宴会がすべて止まり収入が無くなりました。厳しい資金繰りに見舞われ、このままでは駄目だ。資本力がないと今後ホテル経営の継続は困難だとの結論に至りました。その時、会社の経理士の勧めが有り、(株)ビコー(本社毛呂山町)という会社に経営参画していただくことになり、出資をいただきました。現在はビコーの瀧澤時夫会長・奥様の美代子社長がオーナーとして陣頭指揮をとられています。

カルチャー事業で「マイホテル」に

     

-平成17年以降、再生に向けて、どのような取り組みを進めているのですか。

志村 私はお客様から、グランドホテルは誰かのホテルでなく「グランドはマイホテル、私のホテルなのです」と言ってもらえるホテルにしたいという理想を持っています。もっと解りやすく言えば、何千、何万人という方々がオーナーとなる究極の地域密着のマイホテルです。そのためには、ホテルを良く知っていただき、好きになっていただくことが重要であるため、ホテルを地域皆様の文化発信の基地にしたいとの思いから、公民館や公共施設ではない、ホテルなればの多様な文化事業を展開しようと思い、初めに、造語ですが「カルチャラン」(食事をしてカルチャーを楽しむ)事業を始めました。一流の講師にお願いし、源氏物語や万葉集などの古典文学や、普段機会の少ない琵琶や二胡の演奏など良質の文化事業に取り組み、皆さんが気軽に、ご自分の都合により何時でも参加出来ればよいとの思いで取り組んでいます。

 瀧澤さんも同じ考え方で、現在、カルチャースクール事業を積極的に進めています。ヨガ、絵画、日本舞踊などの60教室を、平日の昼間、対象者は主婦層とリタイア組が主ですが、今400人程の生徒さんが、楽しく学び、お仲間や講師先生とのコミュニケーションを深めております。

                

-ウェディングは。
志村 5年ほど前に止めました。80名くらい入れるチャペルがありますが、カルチャーの教室や文化イベントの会場として使っています。7月は「パリ祭イン・グランドホテルWIN」、9月は涼風ジャズ・ライブ。11月は魅惑のギター演奏、12月はクリスマスシャンソンの夕べ、1月は初春朗読ライブ藤沢周平を聴く。等を予定しています。様々なジャンルのイベントを開催することにより、市民は、うまく時間が合えば好きなイベントに参加でき、仲間づくりもでき、楽しめるかと思います。

-軌道に乗りましたか

志村 人がかなり集まるようになりました。現オーナーの経営手腕により、小幅ながら毎年黒字経営に転換しました。

-今後の課題は。

                    
                                 志村さん

志村 客室が27室しかありませんので、あと10室から15室は欲しいですね。また、再生企業ということから、社員の処遇や福利厚生も十分とは言えません。早期に取り組む必要が有ると思っております。まず、社員が希望に燃えて、明るく楽しく勤務できる職場になり、お客様も、ホテルのお料理や、イベント開催などが楽しみになるそんなホテルにしたいと考えております。せっかく、多くの皆様のご支援をいただく地域再生ファンドで立ち直ったわけですから、今後もお客様の声を最大限生かした、地域で愛され、頼りにされる坂戸グランドホテルとして存続できればと思います。

                           (取材2017年7月)

坂戸グランドホテルホームページ 

https://www.sakadograndhotel.co.jp/