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埼玉の幻のやきもの
熊井焼、飯能焼、山王焼とは
 

 岩田泰治さんに聞く

 小川町の埼玉伝統工芸会館ギャラリーで9月21日から10日2日まで「埼玉のやき物」と題する展覧会が開かれる。江戸から明治にかけて埼玉県で焼かれた熊井焼(現鳩山町)、飯能焼(現飯能市)、山王焼(現東松山市)の陶器を紹介する珍しい催しだ。出品するのは、ときがわ町在住の収集家、岩田泰治さん(元小中学校校長)。熊井焼、飯能焼、山王焼とはどんなやきものなのか。岩田さんにお聞きした。
  
 

                                                                

徳利、壺など日用雑器が主

-熊井焼、飯能焼、山王焼とは、どのようなやきものだったのですか。

岩田 私は、元々教員で鳩山町が最後の勤務地でした。鳩山は国分寺瓦の産地で窯が千カ所もあり、どこからでも出ます。私はその発掘作業に参加させていただき、同時に熊井焼窯跡も調べました。あわせて飯能焼、山王焼も整理し、平成22年に熊井焼展を開かせてもらいました(鳩山町教育委員会主催「第13回文化財展 熊井焼」)。

 その時の資料を引用させていただきますと、

「熊井焼は、天明5年(1785)に根岸仙之助なる人物が、淡路国の医師沢玄堂から楽焼の技法を学び、現在の鳩山町熊井に開窯した。最盛期には登窯3基を築いてかなりの生産量をあげていたといわれる。出土した陶片を見ると、徳利、土瓶、灯火器、壺、花瓶など日用雑器類が主のようである。なかには、三島手風の象嵌を施したものや、松葉や松笠を貼り付けた貼花文風の作品もみられる。

 飯能焼は、天保年間(1830-44)に双木清吉が信楽の陶工を招いて、現在の飯能市八幡町に開窯し、明治20年(1887)に廃窯するまで約50数年焼かれた。製品は、徳利、壺、皿、灯火器などの日用雑器類で、すべてロクロを使用した薄作りの陶器であり、特徴は高いロクロ技術と、イッチン(筒描)による絵付けにあるといえよう。

 山王焼は、安政6年(1859)横田彦兵衛が信楽焼の技術を導入し、現在の東松山市日吉町で焼かれた。製品の主流はやはり日用雑器類で、土瓶、徳利、甕、灯火器などであった。旅枕形の花瓶の腰部に小砂利の混じった陶土をからませたものがある」

 

 左:飯能焼 (筒描醤油差)
 中:山王焼 (砂粒貼付大黒紋花生)
 右:熊井焼 (貼付釣人紋花池生)


江戸から幕末にかけてほぼ同じ時期に

-江戸時代の一時期だけ焼かれたということですか

岩田 埼玉では熊井焼、飯能焼、山王焼が、笠間焼などと同じ頃開かれました。

3つとも江戸から幕末にかけてほぼ同じ時代です。それまで埼玉には、やきものは産出されていませんでした。

-なぜこの時期に出てきたのでしょうか。

岩田 江戸時代が終わりに近づき、生活経済が向上し、地元でやきものを供給しようという動きが出てきたのでしょう。

-それが短期間でなくなってしまった。

岩田 結果的には、軽くて白い瀬戸物(磁器)に負けてしまうわけです。3つの窯は、最終的には、瓦や土管を焼いていたようです。

見分けるのは困難

-3つのやきものはどう見分けられますか。

岩田 なかなか難しいのですが、熊井焼は、象嵌を施したり、貼花文風など、装飾が目立ちます。飯能焼はチューブで線を引くイッチンが特徴。山王焼は、小さい砂利がついたものがあります。

ただ、山王焼窯跡からイッチン模様が出てきたりもします。熊井、飯能、山王は、仕事が忙しくなると、お互いに請け負いで製品を出していたのかもしれません。そうであると、厳密な区分はできなくなります。


-それぞれ今でも継承している窯があるのですか。

岩田 熊井焼は窯跡がありますが、今作っている人はいません。飯能焼は、何軒か作陶されていますが、昔の飯能焼そのものではありません。山王焼は、子孫の横田隆史さんという方が、今でも作っています。

-古いものは、骨董の世界では、出てくるのでしょうか。

岩田 めったに出ないです。出ても難しくて判定できないでしょう。軽くてイッチンがあるのはすべて飯能焼かというと、たとえば、首に釉薬をかけているのは熊井焼です。これが熊井の窯跡から出てくるのです。

-集めるのは大変ですね。

岩田 伊万里焼などと違い地方窯なのでそんなに高値はつきませんが、金を出してもなかなか見つからないです。金を出せば買えるものではないから、面白みがあります。 

-この分野では岩田さんが一番お持ちなのでしょうか。

岩田 一番集めているかなという気がしますが、他にもいらっしゃるかもしれません。


市川東玉斎のコレクションも

-岩田さんは、どうしてやきものの収集を。

岩田 私は中学の社会科の教員で地元の歴史が好きでした。特に秩父事件は一生懸命勉強し、『山間農村の秩父事件』(まつやま書房)という本を書いたこともあります。「彩の国いきがい大学」で講義もさせていただきました。

 42歳で教頭になり、時間に余裕ができた頃、坂戸の市史など書いた岩城那男さんという方と知り合い、岩城さんから川越生まれの挿絵画家、小村雪岱を教えてもらい、収集を始めました。その後、東松山の栗原克丸先生に地元の工芸がよいと言われ、地元の工芸に興味が向き、先生が編集した『東松山・比企の100年』に収集品を掲載していただきました。特に東松山の彫金作家、市川東玉斎の作品は約50点集め、去年は東玉斎の展覧会を開きました。


     

         二代目市川東玉斎(大正後期)双龍脚規矩盤

-今、おいくつですか。

岩田 私は今66歳です。退職した後はなかなか新しいものを買えないので、持っているものを皆さんに見てもらおうと考えています。昨年の東玉斎、今年の埼玉のやきものに続いて、来年は小村雪岱展を開こうと思っています。

              

               岩田さん

 (取材2016年7月)

 

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