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修験道の拠点であった黒山三滝 (越生町)

黒山三滝は埼玉県越生町の山あい、越辺川支流(三滝川)に落ちる3つの滝である。黒山バス停から川沿いに遊歩道を歩き、渓流(藤原川)を少し上がったところに天狗滝(落差13.6m)、遊歩道に戻りさらに進んだところに上下2段の男滝(11.2m)と女滝(4.5m)がある。
 背の高い深い木立ちの間を清らかで豊かな水が流れ落ち、荘厳な雰囲気を漂わす。日本観光地百選(瀑布)にも選ばれている観光名所であるが、元々は山岳宗教修験道の拠点であった。

                  川沿いの遊歩道

室町時代の応永5年(1398)、栄円という修験者が当地に関東に修験道を広めるための拠点として、山本坊(坊は山伏の住まい・拠点)を開いた。紀州熊野三山(和歌山県)の本宮に熊野神社(黒山三滝入口近くに現在も同名の神社がある)を、新宮に天狗滝を見立てて一帯を「関東の熊野霊場」として整備した。


天狗滝入口

 山本坊は江戸時代初期に現在の毛呂山町に移るが、以降も「越生山本坊」と称して、京都聖護院を本山とする「本山派修験二十七先達」の一つとして150もの霞(地域組織)を支配していた。明治5年の修験道廃止により山本坊は閉じたが、その後も修験道の霊地としての位置づけは維持され、今でも京都聖護院の関係者が訪れるという。


男滝

女滝

黒山三滝、山本坊の名を広く宣伝することに貢献したのが尾張屋三平だ。文化12年(1815)に現越生町に生まれ、江戸に出て吉原遊郭で成功を収めた。故郷の名所として、黒山三滝を幕末期の江戸市中に宣伝した。「黒山三滝」の命名も三平による可能性があるという。


尾張屋三平

明治時代には鉱泉も発見され、黒山三滝は観光地としてにぎわっていく。2軒あった鉱泉宿は現在は閉じている(カフェとして運営)。

天狗の滝から山道を1時間ほど登った大平山(525m)の頂上近くに、修験道の祖とされる役行者の石像が立つ。高さ1.6m、前に前鬼、後鬼の夫婦を従える。建立の時期が三平の時代と重なっており、三平が建立に尽力したと伝えられている。付近は修験道の行の場で、栄円の墓もある。


役行者の石像(越生町ホームページ)

黒山三滝入口近くの道沿いに「渋澤平九郎自決之地」と刻まれた碑が見える。渋沢平九郎は渋沢栄一の従兄弟で、妻千代の弟でもあった。栄一が渡欧する際に相続人(見立養子)となり、渋沢姓を名乗っていた。明治維新時、旧幕府軍として新政府軍と戦った。平九郎は飯能戦争に敗れ、この地まで逃れ自刃した。平九郎の胴体は、黒山の全洞院、首は現在の越生駅前にある法恩寺に葬られている。

(本記事は、2020年5月、越生町教育委員会の石川久明さんのインタビュー、同町の文化財関係資料などから作成しました)

 黒山三滝の近くには、本紙で取り上げた以下のスポットがあります。
 太田道灌の墓がある龍穏寺
 そばの店 玄家
 上谷(かみやつ)の大クス