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 全国有数の製糸工場であった
 
石川組製糸(入間市) 

 明治から大正時代にかけて、入間市に本社があり、全国有数の製糸会社であった石川組製糸。今は、国道16号線沿いに、迎賓館であった「西洋館」と教会の建物が残されているだけだが、どんな会社だったのか。入間市博物館で「石川組製糸ものがたり」と題する展示会が開かれている(1210日まで)。担当者にご説明いただいた。

                   

4000人の女工が働く


―今回の展示はどのような趣旨で。

「石川組製糸という会社があり、今の入間市(当時は豊岡町)に本店がありました。大正時代の末頃には県内外に9の工場を持ち、4000人ほどの女工が働いていた大企業でしたが、昭和12年に解散してしまいました。興味ある方が増えてきたのですが、社史がなかったので、どういう会社だったのかよくわかりませんでした。そこで今回いろいろ調査をしてこのような展示を行うことにしました」

-どのくらいの規模の会社だったのでしょうか。

「作った糸を、横浜からアメリカに出荷していたのですが、横浜に入荷した糸の会社別番付が残っています。大正11年には石川組は「西の関脇」。東の横綱が片倉組(信州)、西の横綱が山十組(同)、上位は郡是だけ京都で信州がほとんどでした。その中で石川組だけ武州。関東では一番大きい会社でした。豊岡に本店があり、町内に2つの工場、狭山、川越、福島県、愛知県、三重県、福岡県にも工場。全国に展開していました」

 

石川幾太郎が創業

-誰が創業したのですか。  

「この会社を興したのは、明治26年で、創業者が地元の石川幾太郎さんという方です。小柄な方だったようです。家族で座繰り製糸を始めて、一代で財を成しました」

   

                           石川幾太郎 (入間市ホームページより)

-地域では大きな存在だった。

 「当時の所沢警察署管内の工場の従業員の人数割合を見ますと、石川組がほとんどを占めています。幾太郎さんは、武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)の社長をやった時代があります。地元に体育館を寄贈したり、社会活動にも熱心でした。東郷平八郎など。著名な人物も豊岡を訪れています」

-それがすぐになくなってしまったわけですね。

 「一時はよかったんですが、関東大震災で横浜の生糸倉庫が焼けます。その処理をしているうちに、経営の中心になっていた人が亡くなったりで、昭和の大不況の中で倒産してしまうことになります」

西洋館と教会が残る

-現在残されているのは。

「今は往時のものがほとんど残っていないのですが、西洋館という迎賓館が国道16号沿いに残っています。旧石川組製糸西洋館として国の登録有形文化財に指定され、ドラマとかCMの撮影に使われることもあります。現在修理中です。道路をはさんだはす向かいに豊岡教会があります。国道16号の拡幅(2015年)の時に、曳家し、その時外装を変えましたが、中は大正12年に作った時のままです」

      
          
           西洋館                          豊岡教会

-今回、工場の模型を作られたのですか。

 「現在のUR黒須団地のところに石川組の工場がありました。配置図と、当時を知るお年寄りから話しを聞いて模型を製作しました。これを見ると、正門を入ると、繭の乾燥場。3,4階建ての倉庫に繭を保管、トロッコで押して、線路があり工場に運ぶ。繭を煮て糸繰りをする工場に運び、女工さんが糸繰りをする。女工さんたちは、敷地の中に寄宿舎があり、そこに住んで、食事も食堂で食べ、中に病室もあり、生活のすべてが工場で可能でした」

               

 
一族がキリスト教徒

-石川家はキリスト教徒だったのですか。

「一族が皆さん、プロテスタントのメソジストの信者で、それが石川組の経営の一つの特色になっていました。創業者、幾太郎の弟の和助さんという方が、東京に勉強しに行き、キリスト教に出合い、洗礼を受けます。当初は親や兄に勘当されますが、それでも伝道を続け、一族が皆キリスト教に入信しました。和助さんはアメリカにも行き、最後は東京の青山教会で牧師を務めます。石川組の人は、キリスト教にのっとった家族、会社経営を心がけ、家憲には、従業員を家族と同じように扱うということも入っていました」

―当時の女工さんの仕事は大変だったのではないですか。

 「記録によると、出身は山梨県が一番多かったようです。賃金は安く、自分の牽いた糸の品質によって点数をつけられ、よければプラス、悪ければ引かれるしくみでした。寄宿舎生活でご飯はまかない付き」

-工場内で交わしていた「おかせぎなさい」という挨拶は。

「『おかせぎなさい』は、がんばりましょうという意味です。命令でなはなく、おやすみなさいなどと同じように、挨拶代わり。この辺の昔の人は、野良仕事で出会った時などに交わす、それを工場の中でも皆さんが使っていた」

打木村治小説の朝ドラ化運動


-作家の打木村治さんが石川家の出なのですか。

 「一族から出た文学者には、石川信雄さんと穣治さん、打木村治さんがいます。打木さんは東松山で育ち、最後は飯能に住んでいました。『天の園』は東松山、『大地の園』は川越、入間、飯能が舞台になっており、今NHKの朝ドラに取り上げてもらおうという運動が進められています」

                                                         (取材 2017年11月)