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シャツへの絵付けにも挑む
切り絵作家 百鬼丸

 
 川越在住の切り絵作家、百鬼丸は、「真田十勇士」制作が連続でテレビ放映されるなどで、すっかり有名になった。現在は、書籍の表紙の仕事はなくなり、個別の受注制作の他、新たに衣類など実用品への絵付けにも挑戦している。

              


-今も文庫の表紙が多いのですか。

百鬼丸 やっていません。仕事が来なくなったのです。いろいろ考えられるのですが、一つは僕のギャラが高過ぎるのです。それから編集者の世代交代もあります

-それだけ有名になったということですね。

百鬼丸 テレビに続けて出たので、結構名前が知れてしまいました。今は名が知られたので、個別に仕事が来るようになったんです。

 
               

-たとえば。

百鬼丸 近々で言うと、私の出身校である東洋大学で開く学会のポスターとかチラシの依頼が来ました。

―シャツに絵を描いたりもするのですか。

百鬼丸 アメリカのコロラドスピリングスに3カ月ほど生活したのですが、外国はホームパーティをするので家の中に他人を入れます。いつも部屋の中をきれいにしておかなければならず、絵を飾るのが自慢になっている。日本人は家にあまり人を入れないので、絵に限らず自慢するものを持たないのです。それで単独で絵を買ってもらうのは難しいだろうと思い、今回の展覧会もテーマは「灯り」。灯りは、使うもの。そいうものに切り絵を利用していかないと日本では無理だという発想があって、モノを使う最先端は、衣類です。衣類に絵を入れていったら、百鬼丸の絵のシャツとして何枚でも買ってくれるかもしれない。それで最近、初めてペイントシャツ展をやったら好評でした。

―シャツは手描きですか。

百鬼丸 まず肉筆で描きます。描くのは初めて。これまで筆でやったことはありませんでした。ただ、根本は切り絵作家で変わりません。 

             

 

-展覧会の予定は。

百鬼丸 他の仕事ができなくなるのであまりやりたくないのですが、とは言え、表に出るのも仕事なので、支障なない限り。東京・原宿で大学の同級生がギャラリーをやっているので、5月から月3日展示をします。切り絵体験教室も、川越の岡田畳店で続けています。他では、アメリカ・シカゴで友達4人で展覧会、山梨の信玄公まつりのイベントに出たり。

-美術館があるのですか。

百鬼丸 山梨県身延に切り絵の森という施設があり、そこに私の絵も置いています。

-工房は。

百鬼丸 今は、川越・霞ヶ関に移しています。


       (2017年3月 埼玉伝統工芸会館 「百鬼丸切り絵灯り研究室」会場にて取材)



 <以下は「東上沿線物語」第21号(2009年1月)より>

           

 立体切り絵作家  百鬼丸 (ひゃっきまる) その正体は?

 














 文庫本などの表紙を飾る、勇ましくあでやかな武者絵。その多くを創作する、立体切り絵作家、百鬼丸。おどろおどろしい名前とうらはらに、素顔は茶目っ気たっぷり。今、即興切り絵を手がけ、「芸」としての切り絵を広めたい、という。

 

文庫本の表紙700冊

―大学は東洋大学工学部(鶴ヶ島)だそうですね。

百鬼丸 そうです。建築学科です。

―切り絵はいつから。

百鬼丸 二十七歳になってから。それまで絵は趣味でもまったく。

―それでは卒業後就職をしたんですか。

百鬼丸 建築会社に就職したんですが、向かないと思って半年で辞めた。夢のある仕事をやりたいなと考え、とりあえずファッションモデルのマネージャーになったんです。二年くらいやっていたんですが、このままいってもたいへんだなと思って、モノを作る仕事に就きたいなと(焼き物産地の)愛知県の常滑に行ったんです。

その時二十七歳だったんですが、行ったら同じくらいの年の人たちは焼き物作家になっていたんです。これじゃ間に合わないなと思って、対抗するのに、子供のころに版画が得意だったので版画と焼き物を融合させれば付加価値のある焼き物ができるのではと考えたんです。紙状の粘土をナイフで切って焼き物の上にぺたっと貼ろうとしたんですが、試みているうちに絵の方が頭に浮かんでくる。それをもったいないんで紙で残しておいたんです。それが切り絵の始まりです。

切り絵のアイデアの方がいっぱいできるし、これは切り絵の方が早く食っていけるのではと思い始めて、一年で東京に帰ってきて、バイトしながら一人で創作をしていた。二年ぐらいでプロデビューしたんですが、他にやっている人がいなかったので、仕事がいっぱい来たんです。それをこなさなきゃいけないので絵はへただったんですけど、信じられないようなスピードでうまくなったんです。新撰組みたいなもので、真剣勝負なのでうまくならざるを得ないんです。

三年ぐらいたって「サンデー毎日」の表紙に抜擢され、順風満帆でずっときました。

―時代小説の表紙が多いですか。

百鬼丸 今日までずっと、文庫、単行本の表紙は作り続けているんで、その数は七百冊にはなっているはずです。切り絵作家としてはダントツの一位と思います。雑誌、新聞の連載とかも、その数は生きている切り絵作家では一番だと思います。

―連載はどこに。

百鬼丸 「週刊文春」の氏家幹人さんの「江戸の悪知恵」のカット、他は「小説スバル」、「オール読み物」、「歴史読本」などですね。挿絵は昔はもっとたくさんやっていましたね。

―展覧会も開く。

百鬼丸 当初は展覧会はやらなかったんです。切り絵は九五%くらいは印刷物になるものを作っているものですから、個展をやっているのと同じではないかと考えていたんです。地域の方々に私の存在を知ってもらいたいと思い始めてから、個展もやらねばと、ここ十年くらい展覧会をやるようになりました。今は頻繁に、年に八回くらいやっています。

―いつも作品が見られる場所はないのですか。

百鬼丸 川越の岡田畳店本店というところで見られます。畳のギャラリーです。最近山梨の身延に切り絵村の展示場の構想があり、そこができたら、私の常設美術館ができるという話ですが。

―百鬼丸の名前は。

百鬼丸 手塚治虫の「どろろ」の主人公の名前です。焼き物作家になったら百鬼丸とつけようと思って準備していたんです。

 

鶴ヶ島に工房


―切り絵の作り方を教えてください。

百鬼丸 下絵を描いて、それを紙に写して切っていくんです。色をつけるところは色紙を切って、黒い紙の透けた部分に裏から紙をあてるんです。基本的な原理はステンドグラスと同じですよ。

―紙はどんなものを。

百鬼丸 切り絵用の紙はないんです。使っているのは市販品で、多分写真の撮影のときにバックに使う紙だと思います。

―ハサミは。

百鬼丸 ハサミは使わない。ナイフ(カッター)です。即興切り絵のときは、今は今はまだイーゼルを立てていますが、これからは首から画板を下げてしゃべりながらやろうと思います。

―絵でなく切り絵にしたのはどうして。

百鬼丸 子供のころ版画が得意だったから。筆よりナイフを持つのが好きだったんです。切ったざくざく感がいいんですかね。

―見た目も切り絵の方が面白さがあるとも。

百鬼丸 ぼくは好きですね。鋭さ、絵よりコントラストの強さみたいのもあるし。それから、近づいても遠くから見ても同じなんですよね。油絵などは近づくと荒っぽさが見えちゃいます。ナイフの線ですから、近づいてもきれいです。

―色の濃淡はつけられるんですか。

百鬼丸 やる人もいます。私はやらないです。

―武者絵が多いのは。

百鬼丸 ほんとは可愛らしい仕事の方が好きなのかもしれないです。漫画っぽい、キャラクターものの方が。注文が時代ものばかりだったんです。今でもそうですね。

―シリーズではどんなものを。

百鬼丸 「歌舞伎シリーズ」が数は多いですが、「武田二十四将」の方がスケールは大きいです。

―浮世絵はやらないですか。

百鬼丸 昔の浮世絵はみんな同じ顔ですよね。やったとしても昔の浮世絵ではないですね。現代のズボンをはいて服を着た浮世絵だったらやりたいと思っています。今の風俗を切り絵にして残すというか。将来の自分の創作のテーマだと思います。

―図柄は自分で考案するんですか。

百鬼丸 全部自分で考えます。歌舞伎は、約束事があったりしますので、見ますが、他のものは写真もないし。

―作成にどのくらい時間がかかる。

百鬼丸 平面だと二日。下絵に一日ですね。立体の場合は文庫の表紙で五日ぐらいはかかります。

―文庫の表紙はみな立体ですか。

百鬼丸 立体もあるし平面もあります。最近は立体でやってくれというのが多い。

―立体でも写真に撮れば平面ですよね。

百鬼丸 そうですが、出来上がりが少し違うんです。なめらかな、やわらかい感じになる。

―鶴ヶ島に工房がある。

百鬼丸 二十二年たちました。大学時代に住んでいたので。

―仕事はいつ。

百鬼丸 朝ですね 四時からとか。朝型です。

  

「くっちゃべり切り絵ライブ」

 

―今後やっていきたいことは。

百鬼丸 即興のライブをやっているんです。「くっちゃべり切り絵ライブ」。ほとんど最近始めたんですが、スタイル、形がだんだんできてきた。前は座ってやっていたんですが、今は立ってやるように。ある意味で寄席の芸のような形にもっていきたいなというのがあるんです。展覧会をやるのはお客を待つわけですが集客的には効率が悪いんです。ところがライブは大勢に飛び込んで行って、ぼくも負担がかからないので。

―どういうところで。

百鬼丸 今は展覧会場だけですが、何か集まりでやってほしいと言われれば出かけていってやることもできるし、寄席にも出てみたい。

この間、蓮田市の公民館で招かれてその時は一時間近くかけて、干支を切ったんですが、時間がかかるので、今は小さいものを注文を受け手五、六分で切ってあげちゃうようなことをやり始めた。今のところぼく自身の芸を磨くためにどこにでも出てみたい。

―切り絵は人気があるのでは。

百鬼丸 長年やっていますが、展覧会やって「すばらしい」といわれることもありますが、反響はそんなに大きくないんです。それで知名度が上がるということは意外になくて。同時にライブをやるというのは啓蒙活動の中でライブは武器になると思いますけど。

―他に即興切り絵をやっている人は

百鬼丸 できないと思うんです。下絵を描くことはなかなか大変ですが、それが今はみんなが驚くほど短時間でできるようになってきているので、即興ライブができるんです決定的に差ができているところで、来年からライブで引っ張りだこになるような状態がいいですよね。

―しゃべるのは。

百鬼丸 今のところは好きですね。ただ、日常的に言いたいことをしゃべり笑ってもらうだけで武器がないんです。たとえば、「江戸の物売り」なら江戸の商売の話をしながら切り絵を切っていくとか、そういうものがあればいいかなとはおもっています

―芸人のようになりますね。

百鬼丸 今、埼玉という限定で、プロの芸人の集まりを作っています。歌手とか落語家とか。今は集まってわいわいですが、それだけでは終わらないでしょうね。何かやろうかという話が出れば、一人ひとり武器を持った人間ですから。