トップページ ヒキコマハジマル 
 amazon kindle ランキング
 

戦時中、朝霞の被服廠の
輸送に使われた引き込み線

戦時中、畑と雑木林の台地の町、朝霞には陸軍予科士官学校と陸軍被服支廠(被服廠)が置かれ、大和町(現和光)など近隣の市町村には数々の軍需企業も進出した。被服廠の物資輸送のため、東上線朝霞駅近くから工場内まで引き込み線が設けられた。朝霞市基地跡地の歴史勉強会メンバーの斉藤信夫さんに、朝霞の引き込み線についてご説明いただいた。

北区赤羽から陸軍被服本廠の一部機能が朝霞に移転、10万坪に及ぶ大規模軍需工場である陸軍被服本廠朝霞出張所の建設が1941年(昭和16年)に正式操業を開始。工場の本格操業に合わせ1940年に朝霞駅近くから被服本廠朝霞出張所までの引き込み線が作られた。昭和20421日、朝霞出張所は倉庫・支所など名前を変え東京陸軍被服支廠に昇格したが、その約4カ月後に終戦を迎えた。
 

               

朝霞駅手前で分岐

―引き込み線は、朝霞駅から分岐したのですか。

斉藤 池袋方面から見て、朝霞駅の手前で左方向に分かれ、カーブし、被服廠に乗り入れていました。

―引き込み線はどのような役割を担ったのでしょうか。

斉藤 被服廠は軍装被服の製造と保管をしていました。引き込み線は、被服廠の各施設、官舎の資材運搬のために建設され、人員、荷物は池袋から東京駅方面まで向かっていたとみられます。

 

朝鮮戦争でも使われる

―戦後はどうなったのですか。

斉藤 米軍基地(キャンプドレイク)の兵士の輸送に主に使われていました。朝鮮戦争時には兵士を載せて運んでいました。昭和30年頃まではあったのではないでしょうか。当初は蒸気でしたが、電気機関車に 替わっています。初めは米軍専用列車として日本人と分けて乗車していました。

―引き込み線に名前はないのですか。

斉藤 特にありません。子供たちは「しっ込み線」と言っていたようです。田中利夫さんという方が制作した「金ちゃんの紙芝居」に昭和278年から30年頃の朝霞ことが描かれていますが、その中に引き込み線の機関車が列車を引いて朝鮮戦争に向かう兵士を運んでいる様子が載っています。   

 

レールが残る

―引き込み線やレールの跡は今も残っているのですか。

斉藤 戦後のある時期まではありました。長さ2.1kmと言われています。ほとんど撤去されました。写真は、朝霞郵便局が現在地に新築された頃のもので、左が郵便局、右が旧被服廠の倉庫、戦後は米軍野戦病院として使われていた建物です。建物の間の空間に引き込み線が通っていました。他にも、開発で埋められる前の線路跡の写真などは残っています。

  
              引き込み線跡                        現在

―レールはないのですか。

斉藤 引き込み線のレールは、私の知る限り一本残っています。朝霞消防署近くの金網の中です。奥にもっとあるかもしれません。なぜ残っているか。レールにセメントがついており、曲がっていて、再利用できなかったからではないでしょうか。

        
        レール                            近くにある米軍基地跡の消火栓

戦争のモニュメント

―斉藤さんが引き込み線のことを調べようと思ったのはどうしてですか。

斉藤 私の希望は、今地域に残っている戦争の跡(遺跡)と物(遺物)に実際に語らしめることです。今残っているものがなくなれば戦争の記憶が消えていく。朝霞近隣のまちにも戦争があったことを伝えたい。自分の足で朝霞市内に今残っているもの探したら近隣のものも含めれば20以上あり、地図を作りました。毎年1つくらいずつ新しいものを発見しています。それでも消えたり、変わったりする遺跡遺物は多いです。

         
          斉藤さんが作成した遺跡地図             斉藤さん

―その中でも引き込み線が重要だと。

斉藤 被服廠があった戦前から現在までを伝えてくれる重要な史跡です。レールそのものを遺すことは難しくても部分的に博物館に展示するなど、策はあるはずです。基地跡の再開発の計画がありますが、戦争のモニュメントとしてぜひ後世に遺していただきたい。

 

―どのように遺せばよいですか。

斉藤 東京・北区赤羽の例では、引き込み線を遊歩道にしタイルでレールを表しています。朝霞の米軍基地跡には、カマボコ型ハウスが残っており、直してカフェにしたらよいという意見もありますが、これは基地の忘れ物です。引き込み線は被服廠の忘れ物です。カマボコ型ハウスの保存とカフェとは内容に質的な違いがあると思います。

 どんな遺跡・遺物にも加害性・被害性の両面があると思います。被服廠・朝鮮戦争・ベトナム戦争と続いた歴史を平和の視点から見ることができる街が私たちの街、朝霞なのだと思います。

     (取材2018年9月)