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驚きの浜村温泉
(鳥取県)

 鳥取市気高町、鳥取市街から国道9号を日本海沿いに30分ほど走り、少し内陸に入ったところ、山陰本線浜村駅近くの浜村温泉。かつて明治から昭和にかけて賑わった温泉町だが、今はすっかりさびれて温泉宿も2軒残るだけだ。浜村温泉を訪れる機会があり、そのうちの1軒、魚と屋に泊まって、驚いた。お風呂のお湯が、かつて経験したことのない、心地よい泉質だったのである。

 

ラフカディオ・ハーンが訪れる

 浜村温泉(地元では、山陰線の線路をはさみ北側の浜村温泉と南の勝見温泉を区別しているが)は、室町時代後期に発見され、江戸時代には歴代の鳥取・池田藩主も逗留した。明治になり浜村地区でも温泉が掘られ、駅の開業もあって、発展。ラフカディオ・ハーンは明治24年に浜村を訪れ、「浜村という小さい美しい村に着いた時、日が暮れた」という文章を残している(『知られざる日本の面影』)。浜村海岸と砂丘、因幡の白兎伝説のある白兎海岸・白兎神社も近く、神話の里、風光明媚な環境に囲まれた、こじんまりとした温泉地である。民謡「貝がら節」の発祥の地でも知られる。

  
                     白兎海岸

 昭和50年前後の最盛期には、11軒の旅館、宿泊客も10万人以上を数えたが、その後衰退、現在は老舗旅館だった浜乃屋の施設を水産会社である渡辺水産が継承した魚と屋と、小谷旅館を受け継いだ旅風庵があるだけ。他は、1軒の共同浴場(姫石温泉)と3ヵ所の足湯が一般に利用可能な温泉施設となっている。

   
                     浜村駅

 浜村海岸海水浴場が閉鎖されたことや、モータリゼーションの進展、浜村駅に急行が停車しなくなったこと、三朝温泉など近隣の温泉地との競合なども、衰退の原因になっている。

 筆者が滞在した魚と屋のお風呂は、見た目はまったく普通の温泉旅館の風呂と同じだが、入った瞬間、体にピリッと電流が走ったよう。骨格と筋肉が快く刺激される、それでいて負担ではなくそのまま入り続けたいと思わせる、不思議な感覚があった。これは、筆者のその時の体調がお湯とマッチしたためなのかどうか。私の温泉体験では初めてのことだった。ちなみに、魚と屋は、料理もすばらしく、それでいて料金は安価。おすすめの宿である。

          
                      魚と屋

 資料によると、泉質は塩化物泉、ナトリウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩泉、単純放射能泉など、いろいろな表現がある。近くの三朝温泉は日本を代表するラジウム温泉で、浜村温泉もかつてはラジウム泉であったとの資料もある。宿の人にも訪ねたが、明確なお答えはなかった。

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 浜村温泉の歴史などについて、地域の歴史にお詳しい濱田英一さん(鳥取県地域社会研究会顧問)にお聞きした(お話では浜村温泉と勝見温泉を区別しています)。

勝見温泉がはじまり

 ―温泉の歴史を教えてください。

濱田 浜村温泉のはじまりは勝見温泉です。伝説では、室町時代の後期頃、このあたりは湿地でしたが、そこに足を痛めた白鷺が飛んできて休んでいたが、15日ほどで飛び立ち、行ってみたら湯が湧いていた。これが「鷺の湯」の発見です。16世紀末に隣の鹿野城主であった亀井茲矩(これのり)が殿様専用の一ノ湯を作り、江戸時代には鳥取の池田藩主と一族がたびたび入湯した記録が残っています。

―姫石温泉は亀井茲矩ゆかりなのですか。

        

濱田 姫石温泉は今も町内に残る共同湯ですが、鹿野城主亀井茲矩が幼い姫を連れてたびたび入湯したと伝えられます。その折り、湯壺が深くて姫の背が届かなかったので、家来が手ごろな青い石を湯に沈めて姫をその上に立たせたという。それ以来、茲矩は「姫が石じゃ」と言い、姫の専用に使った。これにちなんで村人は「姫石温泉」と呼ぶようになったということです。

明治17年、浜村温泉掘削、昭和までにぎわう

―勝見温泉の後に浜村温泉が開かれたということですか。

濱田 明治16年に鳥取と米子を結ぶ伯耆街道の一部としての旧国道が完成し家が建ち始めます。翌年、鈴木寛平という人が、今の浜村温泉館(閉館)のところで製糸用の井戸を掘ろうとしたら80度の温泉が出て、寛平楼を建てる。次々に旅館ができ、明治40年には浜村駅ができて浜村温泉がにぎやかになっていきます。明治43年には駅の北側に60軒くらい家が建っています。逆に勝見温泉は湯量が減り、廃業も出始めます。

―浜村温泉はその後も昭和までは栄えるわけですね。

濱田 大正から昭和にかけて海水浴が一般化したことや、浜村砂丘でサンドスキーが楽しめる、さらには三味線のひける芸者衆がいることも駅前旅館の利用客を増やしていきました。さらに戦後20年代初めには浜村駅に急行列車が停車。「貝がら節」の宣伝とともに、京阪神や山陽方面からの団体や家族連れが一層増えました。一方、勝見温泉は最後の旅館であった中田屋も昭和初期には姿を消し、共同湯の姫石温泉だけが形をとどめています。

―浜村温泉も今は寂しいですね。

濱田 車社会になり皆海岸の国道を通ってしまうし、急行も停まらなくなり、駅に降りる人が減りました。今は浜村もさびれて、最盛期に11軒あった旅館は今は2軒だけです。

―温泉の成分は。浜村温泉はラジウム泉ですか。

濱田 勝見温泉は石こう(硫酸カルシウム)を含む食塩水です。放射能泉という言葉は人をひきつけるのかもしれませんが、浜村がラジウムということはありません。

貝がら節の里

―浜村温泉は貝がら節の里とされていますが、どのように始まったのですか。

濱田 貝がら節は、鳥取県沿岸の帆立て貝(板屋貝)の漁で昔から唄われていた唄が元です。昭和の初めに、 浜村駅近くの上田平十郎という人が、私財を投じて浜村温泉の宣伝のため俳人の松本穣葉子(儀範)に作詞を頼み貝がら節のレコードを製作しました。昭和20年代には、民謡コンクールで一位を獲得するなど、貝がら節踊りとともに全国に知られるようになりました。地元には保存会があり、毎年貝がら節祭りが開かれます。

―浜村温泉を復活させるにはどうしたらよいでしょうか。

濱田 役所も含めて皆が何とかしなければと思っているのですが。隣の鹿野町では、廃校跡に「鳥の劇場」というのができて、少し活気が出ているようです。

         
                       濱田さん

(以上の記事は、インタビューに加え、濱田さんが中心になり制作した郷土誌「いで湯の里 勝見のあゆみ」(平成1012月)などを参考にしました)

                      (取材2019年11月)