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富士見市ふるさと探訪
新緑のふじみ野、
勝瀬をめぐる

 新緑の5月の日曜日、富士見市資料館友の会ふるさと探訪部会の第32回ふるさと探訪に参加させていただいた。今回は「新緑のふじみ野、勝瀬をめぐる」と題し、ふじみ野駅を起点に、ららぽーと富士見近くの「コロボックルの碑」まで、案内していただいた。

<ふじみ野駅モニュメント>

 ふじみ野駅は1993年に開業されました。東上線の18番目の駅です。開業を記念して、モニュメントを作りました。普段は気がつきませんが。西口には「家族の肖像」。母、父、子、孫、祖父の5体。おばあちゃんはいません。高須賀昌志さんという方が制作

 東口は、3つあり、コンセプトは「富士見夢の舟」。駅を船着場とし大きな夢を抱いて大海に乗り出し帰ってくるというイメージ。作家は鈴木尚和さん。

     
              ふじみ野駅東口

<桔梗ケ原緑地公園>

 以前は一帯に桔梗の花が咲いていたそうです。ふじみ野駅は現在地よりもう少し池袋方向寄りにできる計画でしたので、駅名も「桔梗ケ原」の予定だったようです。単なる緑地でしたが、散歩のできる公園として整備されています。園内を流れるさかい川(砂川掘第2都市下水路、ふじみ野市との市境)は、三芳町から流れ出て榛名神社の近くで砂川掘に合流します。

      
             さかい川

<勝瀬ミニパーク>

 170㎡の小さな公園です。御影石で作った顔のオブジェは幅90センチ、高さ55センチ。子どもがよじ登れるようにしてあります(逆に危なそう)。

    勝瀬ミニパークオブジェ

<勝瀬原の歴史>

 ふじみ野駅周辺は、元々「勝瀬原(かっせっぱら)」と呼ばれていました。さかい川周辺は遺跡が多く、近くに旧石器時代の中沢遺跡が出ており、約3万年前から人が住んでいました。縄文・奈良・平安時代の複合遺跡が出ていますが、弥生時代から江戸時代までは稲作に適さずあまり人が住まなかった、マグサ場と言って、柴を刈ったり馬の餌を取りに行ったりする場所でした。江戸時代になり、川越藩主柳沢吉保が武蔵野拓きとし開拓が始まりました。勝瀬原は主に現在の富士見市東大久保の人たちが開拓した地域です。米作地の人たちが凶作に備えて畑作用の耕地を確保したのです。

<勝瀬原記念公園>
 

  
    勝瀬原記念公園

ふじみ野駅ができて(富士見市分は)ふじみ野東・西に。勝瀬原記念公園は広さは約12000㎡。2007年にオープンしました。1周400mの園路は散歩やジョギングができます。入口に立つのは、富士山をイメージした竣工記念碑の「絆」。地元の区画整理組合が1986年から2011年まで四半世紀を費やした事業を記念して建てました。記念碑近くの通路には、勝瀬原の旧道と旧字名を埋め込んだ地図があります。

 

<塩野家の長屋門>

 勝瀬の名主であった塩野さんのお宅の長屋門です。元々あった門は元禄時代に焼失し、現在の川越市渋井から移築されたと伝わっています。当時は藁葺でしたが、現在の屋根はスレートを使っています。

  
      長屋門

<安産祈願の馬頭観音>

 鈴木家の屋敷神と言われる馬頭観音です。元々屋敷の中にあったらしいですが、今は道路に面して祀られています。左右2体あり、享保8年(1723)と刻まれています。産婦のお参りが多かったそうです。馬頭観音は観音菩薩の変化の一つで頭の真ん中に馬の顔があり、悪いことを馬が蹴散らす意味を持っています。

          
             馬頭観音

<護国寺>

龍王山薬王院護国寺という天台宗の寺院です。川越市古谷本郷の灌頂院の末寺です。明治初期に火災に遭い開基などは不詳ですが、寺名、石仏などから鎌倉時代ではないかと考えられています。江戸時代には寺子屋が開かれていたそうです。本堂は明治25年(1892)に再建され、今年3月に再築されました。本尊は阿弥陀三尊。境内には、大型の板碑が2基あり、1つは高さ3m、1つは2.9mで富士見市内最大です。板碑とは、鎌倉から戦国時代にかけ、武士を中心に死者の供養や自分の死後の冥福を祈願するために建てた石造物です。本寺は昭和58年、市の有形指定文化財に指定されました。境内には、十二支守り本尊もあります。

  
  護国寺                        板碑

<如意輪観音像>

 島田さんのお宅の一角にある如意輪観音像です。片膝を立てており、それが座ってお産をする時の形だということで、ここも安産祈願が絶えなかったそうです。

<榛名神社>

    
           榛名神社

 埴山姫命(土の神)と豊受姫命(農業の神)という女性の神様、二神を祀っています。豊受姫命はイザナギノミコトの孫にあたり、伊勢神宮の下宮の祭神にもなっています。
 毎年4月10日にお祭りがあり、神楽、勝瀬囃子、植木市も出て、大変にぎやかです。榛名神社の「榛名」は、群馬県榛名山とは別の系統だそうです。棟札は500年前のもので、かなり古い歴史を持つ神社です。池があり、雨乞いができたとか、白髪に悩む人がお参りすると黒くなったとか、いろいろなご利益があったそうです。

 奉納額の画題が、鎌倉時代の武将である佐々木高綱と梶原景季の木曽義仲追討時の宇治川の先陣争い。寛永3年(1774)の作品だそうです。

 

<狛犬>

 この狛犬は雄雌が後ろに回るとわかるようになっています。向かって左が雄、右が雌。左は子どもと一緒ですが、子どもを蹴落とすのは雄なのです。

   狛犬

 

<イチョウ>

 

 樹齢500600年と言われています。乳の出がよくなるということで、お参りに来たそうです。市の指定天然記念物です。

 







     大イチョウ

<力石>

 市内には力石が神社に8ヶ所、27基あり、ここには3基あります。力石の起源は中世で、力比べか、民間信仰で石占いから来たという説もあります。江戸時代には力比べとして盛んになりました。昔は、石が上げられない男の所には嫁に行くなと言われたそうです。

  力石

<社>

榛名神社境内には、天然痘を治す「疱瘡神」、お舟山にあった舟山弁財天、ふじみ野のオトウカ山にあった洞など小さい社がいくつもあります。

<お舟山>

お舟山は、伝説の地です。昔このあたりは海で、榛名大権現が鷺森大権現と大弁財天をお供して舟が着いた。舟は流されて鎮座し山になったといいます。鷺森大権現は、今は八幡神社(ふじみ野市駒林)に合祀されています。弁天様は、明治までお舟山にありましたが、現在は榛名神社境内にあります。

   お舟山

 

<砂川掘>

「砂川掘雨水幹線」として県が管理しています。延長約13キロ。狭山湖付近を水源とし、所沢市、三芳町、ふじみ野市、富士見市と流れ、新河岸川に合流しています。江戸時代の「新編武蔵風土記稿」に、「砂川ここに細流あり是を末無川と呼ぶ。末流武蔵野に至り散流す」と記録されています。下流部は水が消えて川がなくなっていた。それを掘り出して流れを作ったので「砂川掘」に。ここでさかい川が合流しています。

          
             砂川掘

都市化の影響で水量が増え、2016年8月22日の台風9号では越水し、保育園が床上浸水するなど大きな被害を出しました。現在堤防の工事中です。桜の木が約123本あり、桜の名所です。コイやカメもいます。

 

<谷田の薬師如来>

薬師如来の石像は市内唯一です。かつて草庵に祀られていたが焼失し、江戸前期の寛文6年(1666)に関口幸春が再建したと伝わります。眼病に効くといわれています。

  

 

<観音坂>

鶴馬から勝瀬に向かう坂で、坂上に渡戸観音堂があるので、通称「観音坂」と呼ばれています。元はもっと急な坂でしたが、青年団の勤労奉仕による工事で今はゆるくなっています。坂上に工事の記念碑があります。富士見市に坂が多いのは、武蔵野台地と荒川低地の境目に位置するためです。

   観音坂

<渡戸観音堂>

 いつできたかは不明ですが、江戸後期の文化7年(1810)には本堂新築上棟が行われたとの記録があります。堂内には、文政8年(1825)に作られた須弥壇(しゅみだん)、寛文4年(1664)造立の市内最古の馬頭観音があります。堂外の馬頭観音は、馬の全身を浮き彫りにした珍しいものです。

      
        渡戸観音堂

 

<コロボックルの碑>

通称「コロボックルの碑」。正式には「貝塚稲荷旧跡碑」とあります。大正元年に地元の有力者が建てました。一帯は貝塚山と呼ばれており、樹木が茂る小高い山で、貝塚がありました。 

  碑

  説明板

明治40年、当時の東京帝国大学の学生らが調査した結果、土器や石器が発掘され、これは、アイヌ伝説にある先住民の「コロボックル人」だと教えました。コロボックル説は文化人類学者の坪井正五郎氏らが唱えていました。しかし、その後古墳が出てきたので、コロボックル説は否定されました。古墳はほとんど貝殻で築いている珍しい例だそうです。貝塚山山頂には稲荷社がありましたが、今は鶴馬の氷川神社に合祀されました。

             (取材2019年5月)

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